ヘタの米様贔屓ブログサイトです。 米受け二次小説を書いています。R18禁サイトです。
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金髪に童顔の白人アメリカ人の青年は、オレンジ色のエレキギターを肩に掛け、ステージ立った。目の前には赤紫色のカーテンが重く閉じたまま、そこにある。このカーテンは間もなく開く。開けばそこに観客が座っている。
青年、アルフレッドは眼鏡をくいっと軽く持ち上げ、掛け直す。心臓がせわしなく胸を叩き、膝の後ろに冷たい汗が流れ落ちていく。
カーテンを巻き取る機械が動き出す。目の前のカーテンがゆっくりと開かれていく。座席が見える。アルフレッドは目を閉じ、汗ばんだ手でマイクをしっかりと握った。
一人に割り当てられた演奏時間は約5分ほどだ。客席に座っているのは、観覧無料という言葉に引き寄せられた暇人と、素人学生バンドが同業のよしみで座っているだけ。アルフレッドの演奏が終わると、客は苦笑いで御愛想の拍手をする。彼らの表情を見るだけで、アルフレッドの演奏がお気に召さなかったのだとわかる。今日も駄目だった。アルフレッドは今回も振るわなかった事に胸を病みながら、ステージを降りて行った。
ステージを降りると、アルフレッドと入れ違いに、若い学生バンドがステージに駆け上がっていく。そして、彼らはとても良い歌を歌った。彼らの歌に魅せられた観客は、盛大な拍手を送り、彼らを持て成した。舞台袖で彼らの歌を聴いていたアルフレッドは、そんな風に客に迎えられる彼等に嫉妬し、なんだか惨めな気分になった。彼らが舞台裏に戻って来る前に、アルフレッドは、その場から逃げるように立ち去った。演奏を見事にやり終えて充実した汗を顔に輝かせる彼等の笑顔なんて、まったく見たくなかった。失敗した自分の前で、そんな顔をされたんじゃたまったものではない。
アルフレッド・F・ジョーンズの本業はロッカーだ。ロック歌手。しかも売れない。なぜ売れないのかと言ったら、歌が下手なのと、勢いだけで、歌詞に中身がないから、だろう。しかし、アルフレッドは歌が下手だという事はそんなに気にしていなかった。ロックに大事なのは魂の叫びである。だから、ちゃんと気持ちを込めて歌っていれば、下手でも構わないと思っていた。アルフレッドは歌う事が好きだ。才能がないと言われようが、好きなものは好きなのだ。歌う事は楽しい。楽しんでいる気持ちをお客さんに共感して貰いたい。自分と同じように楽しんで欲しい。そう思いながら、売れないロッカーという仕事に身を置いている。
陽が落ちてきた頃、アルフレッドはバスに乗って、いつもの高級カジノに出向く。この高級カジノに行く為だけに、一張羅のスーツも買った。
夜のカジノタウンには、無数の街灯が灯り、あちこちに照明が張り巡らされ、まるで朝の様に明るい。アルフレッドはカジノの大きな凱旋門をくぐり、店に入った。
きらびやかな店内では、BGMにジャズが流れている。決して、間抜けたロックなんかじゃない。天井はどこまでも高い吹き抜けで、巨大なシャンデリアがいくつも吊るされている。ガラス玉に照明の光を反射させて、きらきらと輝いている。ここに来る客も、キラキラと光る高そうな腕時計や、ブローチ等といった装飾品の数々を身につけ、高いスーツや、ラメや宝石が鏤められたドレスを着て、皆一様にスロットの台の前に腰を下ろしていた。
アルフレッドはスロット台や、ビリヤード台なんかには目もくれず、カジノの奥のバーに向かう。
別に、バーで酒を飲もうっていうんじゃあない。アルフレッドは酒を飲める年齢じゃなかった。それに、酒を買う金なんて、持ち合わせていない。
アルフレッドには別の目的があった。
バーのホール席の空いている席に、アルフレッドは腰を下ろす。そして、ゆっくりと周りの客を見渡す。酒に酔っている客、そうでない客と様々だが、決して、カウンター席で無様に突っ伏している酔っ払いなんてのは居なかった。ここはそういう所だ。高級カジノと謳うだけあって、周りの客は金持ちが大半だった。金持ちというのは、きっちりとした躾を受けてきているがゆえに下品な行動をしない。上品に、優雅に、振る舞う。いわば、上流階級というものの交流が、毎夜このカジノで繰り広げられているのだ。
アルフレッドは、連中の中で一番金持ちで、品が良さそうな人間を探した。探すのは勿論、女性だ。それも、アルフレッドよりも年のいったマダム。なぜマダムを探すのか、それは、彼女たちは若い男に飢えているからだ。
お目当てのマダムは、すぐに見つかった。彼女は一人で来ているらしく、どこか寂しい目をして、角の方で赤ワインをチビチビと飲んでいた。彼女の青いノースリーブのロングドレスから突き出た腕は、大根の様に太い。胸も、脂肪のおかげで、かなり豊満だ。白も腹も太く出っ張って、内側からドレスを押し上げ、ドレスは、窮屈そうに伸びていた。しかし、彼女の顔は、そんな体型からは意外なほど、ほっそりと、こじんまりとしていて、つけまつげをわんさと付けた目元や、赤いルージュが引かれた大きな口は、憂いを秘めた彼女の顔を魅力的にみせていた。
アルフレッドは狙いを彼女に定め、椅子から立ち上がった。
「ヘイ、ここ、いいかい?」
アルフレッドがマダムの向かいの席を指さし、声をかけると、マダムはゆっくりと顔を上げ、アルフレッドの顔をじっくりと見てから微笑んだ。
「ええ、よろしくてよ」
アルフレッドはお礼を言って座る。
アルフレッドが椅子に座る動作を、マダムは最初から最後まで目を細めて眺めていた。
椅子に腰を落ち着けて、アルフレッドは面とマダムに向かい合った。
「あなた、名前は何とおっしゃるの?」
「アルフレッド・F・ジョーンズ」と、アルフレッドはすぐさま答えた。
「アルフレッド? 仮名ではないわよね?」
「本名だぞ」
マダムはニヤニヤと笑いだした。
「あたくしは、スウェーリ・ペドリャンコ。生まれはチリよ。あたくしには南米の血が入っていんの。だから、あなたみたいな無垢な子供を見ていると、体に熱が走って、うずうずしてきちゃう」
ハーハハ! とマダムは高い声を出して笑った。
「どうして、うずうずするんだい」とアルフレッドは訊ねた。
「色々教えたくなっちゃうのよ」とマダムは煙草を取り出しながら言った。
「ところで、あなた、あたくしみたいなオババに何の用事があって? 言わなくても、若い男が年寄りの女にすり寄る時ってのは用事が決まっているものだけど、一応聞いておこうかしら」
マダムが煙草に火をつける。
アルフレッドは困ったように笑い、遠慮がちに呟いた。
「寂しそうにしていたから……」
マダムは、一瞬瞳を揺らし、たじろいだ。アルフレッドはそれを見逃さなかった。
「それで……あなたは、あたくしを癒そうってわけなの。ありがたい坊ちゃんだこと!」マダムはたじろいだのを訂正するように、わざとらしく高い声を出して可笑しそうに笑った。
アルフレッドには、彼女の笑いが、無理をしているように聞こえた。
「勿論、タダじゃないさ。いくらかのお金は貰うつもりだよ」
「ええ、ええ、わかっていますとも……」
マダムは手元からポーチをたぐり寄せると、その中を開いて、長財布を取り出し、財布から200ドル抜き取って、アルフレッドに渡した。
「今はこれだけ。後はあなたの頑張り次第で、上乗せして差し上げるかどうか決めるわ」
「ありがとう」
アルフレッドはその夜、マダムと寝た。
そして、400ドルを手に入れた。
「少ないと思ったかしら。でも、辛いのは入れられている、あたくしの方なんですからね。勘弁してちょうだいね」とマダムはシーツで裸を隠しながら照れくさそうに言った。そういう表情は、可愛らしい少女に見える。
アルフレッドは金額に満足していたので、不満はなく、マダムに心からお礼を言った。これだけあれば、数日は暮らしていける。
アルフレッドが金持ちの熟女と寝るのは、理由が二つある。一つは、金を手に入れる為、もう一つはその日の宿がわりである。
売れない自称ロック歌手のアルフレッドは、会場を借りて、歌ったり、路上ライブで歌ったりして金を稼いでいるが、それだけじゃあ、十分な稼ぎにはならない。文字通り売れない、なのだ。得られる収入は雀の涙。微々たるもの。時には会場を借りたお金でマイナスになる。歌だけで生活するには無理がある。
仕事を掛け持ちして、朝はフードショップなどで働いて生活費を稼ぐことも、アルフレッドには可能だった。
だが、誰かに雇われて働くというのが、アルフレッドは心底嫌だったので、そんな事は絶対にしないのだった。決められた時間に出社して、やりたくもない仕事をし、時計をちょろちょろ見ながら、時間になったら帰る。そして、明日は出勤か、休みか、なんて考えながら過ごす。考えただけで面倒くさい。そんな生活を送るくらいなら、熟女とセックスしていた方がマシだ。
マダムから貰ったお金は、当分の間持つと思っていたが、最新ゲームで遊ぶため、ネットカフェに入り浸っていたら、三日で使い果たしてしまった。
夜になってから、アルフレッドは宿と金を手に入れる為に再びカジノへ向かう。
いつもの灰色のスーツに身を包み、バーのカウンター席で客を品定めしていると、アルフレッドの視界に、やけに絡んでくる視線があった。アルフレッドは最初は無視をしていた。だが、何度も目が合っている内に気になってくる。アルフレッドは、むすっと膨れた顔で、その何度も見てくる人物を睨みつけた。
その人物は男性だった。やや茶色が掛かった金髪の髪は短く切りそろえられていて、太い眉毛が特徴的だった。彼は痩せていて、それから童顔で、アルフレッドは彼から、芯を持った男の魂を感じ取った。なんというか、優雅でありながら洗練されているのだ。短く言えば、紳士ぜんとしているのである。
彼は一人で来ている風情で、フロアの中ぐらいの席に座り、細いグラスに入ったカクテルをたまに啜っては、アルフレッドを盗み見ていた。
正直、彼はイケメンだった。彼の顰められた顔は、偶に見ないほど整っている。笑えばきっと、とろけるような表情になるのだろうとアルフレッドは思った。だがしかし、男にジロジロ見られても、良い気はしない。
アルフレッドは、いったんバーを離れようと思い、席を立った。すると、なぜか太眉の彼も席を立った。気味悪く感じたアルフレッドは、早足にバーを出た。
ジャズの有名な曲が流れる、カジノの店内を、アルフレッドは歩いていく。
「おい、お前……」
どこかのスロット台で当たりが出たのか、コインが排出される騒がしい音が聞こえる。何百台と稼働しているスロット台がうるさく回る。
「そこの太った……」
カジノのスタッフが忙しく走り回り、アルフレッドはそんな彼等を避けながら奥へ奥へと歩いていく。
「おまえ……っ」小さな舌打ちの音。「……アルフレッド……、アルフレッド!!」
彼が必至な感じに叫び、アルフレッドは名前を呼ばれた事に驚いて、後ろを振り返ってしまった。
アルフレッドが振り向くと、その男はホッとしたように笑った。
「……どこかで……俺たち、会ったかい?」アルフレッドが訝しげに訊ねると、彼は首を横に振った。
近くで見ると、男の背丈はアルフレッドとそう変わらないように見える。それから眉毛の存在感が半端じゃない。超極太である。
「バーで何度も見ていた」と彼は言った。アルフレッドの名前もその時知ったのだという。
「俺に何か用でもあるのかい」
アルフレッドが聞くと、彼は顎を上げ、目を爛々と輝かせた。
「貴婦人相手に体を売っているな?」
「え?」率直な質問に、アルフレッドはどぎまぎして顔を顰めた。
眉毛の彼は、ずいっと、アルフレッドに詰め寄った。
「理由は何だ? 金か? やっぱり……」
「な、何なんだい、君! 初対面の相手に、体を売っているとか失礼だぞ! 第一、名前も名乗らないで、君は警察かい?」
「いや、違う」と彼は言った。「俺はアーサー・カークランド……この街のVIPだ」
「VIP……?」
アーサーはにやりと含み笑いをした。
「で、お前は金が欲しくて貴婦人と寝るのか、そうなのか?」
どうなんだ!? とアーサーは腰に手を当てて、アルフレッドに更に詰め寄る。
アルフレッドは、そうだよ、なんて簡単に言えるものではなかった。たって、恥ずかしい事をしているというのは、自覚していたし、そんな事を言って、もし、警察にでも突き出されたら、たまったものではない。
「し、しらないよ……」
「お前が知らなくても俺は知っている」
アルフレッドは上目遣いにアーサーを見やった。
「君……。俺の何を知っていると言うんだい?」
アルフレッドの腹の中で、何か黒いものが、ふつふつと沸いてきた。
「あっちへ行けよ!」
アルフレッドが怒鳴っても、アーサーは、その場から動こうとしなかった。
深い緑色の目で、アルフレッドの顔を、ただ悲しげに見つめてきた。
他人からそういう目で見られるのが、アルフレッドは嫌いだった。そういう目を向けられる自分が、ひどく幼稚で、阿保な子供に思えてきてしまう。
これ以上アーサーと対峙していても、むかっ腹が立つだけだと思ったアルフレッドは、アーサーに背を向けて歩き出した。
「おい、待て。アルフレッド」
アルフレッドは歩く足を速める。
「アルフレッド!」
声にせき立てられるように、アルフレッドは駆けだした。
もうカジノには行けない。あの男がいるかもしれないと思うと、行く気がしない。なんとなく。
「やあ、ミスタージョーンズ。今夜も宜しくたのむよ」
小さな安っぽいバーで、アルフレッドは曲の演奏を引き受けていた。ギターを弾きながら、リクエストされた曲を二、三曲歌う。楽な仕事だ。
ここで働きだしたのは、バーのマスターが、アルフレッドの路上ライブを聴いて、その歌声に惚れ込み、アルフレッドをスカウトしたのが始まりだった。カジノに行くのを止め、金に困っていた矢先であり、アルフレッドは願ってもない有難い話だと、飛びついたのだった。
仕事をし始めて数日後、アルフレッドは、自分が雇われたのは歌声が気に入られたからではなく、顔で気に入られたからだと気付く。マスターは、よく、アルフレッドの顔を褒め、また、時にはアルフレッドの体をいやらしい手つきで触った。店の客層から言って、マスターは、そっち系だと分かっていたものの、アルフレッドの心には、かなりずっしりと重く堪えた。
自信持って歌った歌は大して褒められず、尻の形が良いだの、抱きしめたくなる体だのなんのと言われても嬉しいわけがない。
だが、自分の取り柄は歌だけだ。歌って金が稼げるこの仕事は、割に良い環境だった。
「歌は下手だが、ファックしたくなる面だ……へへっ、20ドルやるから、あんたの口で抜いてくれよ……」
下品な客をあしらうのも慣れたもので、仕事を終えたアルフレッドは、さっさとステージを降りて、バックステージに消えた。
「ミスタージョーンズ、今の態度は何だね。君はもう少しお客に可愛げのある対応をしても良いと思うね。そしたら、チップだって、うんと貰えるようになる」
「だけど、マスター。俺はホモじゃないんだ」アルフレッドは帰り支度の為に、ギターをカバーにしまい、ジャケットを羽織る。それをマスターが顰め面で横から眺めていた。
「私はとても勿体ないと思うよ。君は、才能がある」
アルフレッドはクスリと笑った。
「歌の才能がかい?」
「勿論、それもある、が、君は……男にモテる顔だ。その才能を生かせば、楽に金が稼げるし、どんなイケメンとだって寝られる」
「イケメンと寝たいのは、マスターだろ。俺は別に男となんか寝たくないよ」
「本当に勿体ないな、ミスタージョーンズ。ジジイになってから後悔しても遅いんだぞ。若いうちに沢山経験しておくべきだ。前も後ろも通しで」
「HAHA……お生憎、前だけで間に合っているさ。お疲れ様、マスター」
「ああ、お疲れ」
アルフレッドは、ギターを肩に掛け、出口へ向かった。
アルフレッドは、この後、駅前か、そこに行く前にある繁華街で、路上ライブをして行こうと考えていた。嫌な事があると、つい大好きな歌を歌って気晴らしがしたくなる。
黒っぽい青色の空に浮かぶ三日月が、今日は特に綺麗で、周りには白い星がチラチラと浮かんでいる。すんと澄んだ夜の空気の中、街は十分な明かりで照らされていて、ロマンチックな雰囲気だった。アルフレッドが繁華街にある噴水広場に行けば、月の美しさに誘われたカップルを数組確認できた。
この雰囲気の中で歌ったら、気持ちが良いだろうな、とアルフレッドは思った。
恋人たちの心に響き渡るような、うんとロマンチックな歌を歌おうと意気込み、自分の歌を聴いた恋人たちの顔を想像して、アルフレッドは、うずうずと胸が震えた。体の下の方から血が湧いてくるというのだろうか。カバー曲なんかじゃなくて、それもアドリブで歌った方が良い。いつもは他人の曲ばかり歌って、オリジナルなんて滅多に歌った事がないアルフレッドだったが、今なら歌える気がした。頭の中で曲を紡いでみる。思っていた通り良さげなメロディが浮かんで、アルフレッドは嬉しくなった。噴水の前の地べたに座って、ギターを肩から降ろし、カバーを外して、中からオレンジ色のギターを取り出した。何かを始めるつもりのアルフレッドに気がついた恋人たちは、興味深げに、アルフレッドの動きを注視していた。アルフレッドは、ぐるりと辺りを見渡す。観客は十分だ。よし、三秒後に歌おう。
1,2,3。
ピックを指に挟んで弦を弾く。弦が震える。良い音が出た。大きく息を吸って、最初の声を出した。裏声だ。レッツゴー。
しばらくは良い気分で歌っていた。だが、ある客が暴言を吐いたので、アルフレッドは歌う気がなくなり、歌うのを止めた。いつも嫌な客に邪魔をされるんだ。ギターを仕舞いながら、アルフレッドは、しょんぼりと思った。
その後はそのまま行きつけのネットカフェに帰るつもりだった。
噴水広場の出口へ向かう足取りは、泥に足を浸したみたいに重い。アルフレッドは疲れていた。
アルフレッドは、フと足をとめた。休もうと思って止まったのではない。自分の目の前に立ちはだかる者の姿を見つけたからだ。アルフレッドは目を細める。丁度、街灯の明かりを木の枝が遮っている位置にその人は立っているらしく、顔が良く見えなかった。だが、体は思いっきりアルフレッドの方を向いているのはわかる。
「やっと見つけたぜ」
その人は艶のある声で言った。すっ、と影から姿を現す。
「あ」
アルフレッドは間抜けに口を開けて声を零した。彼の姿を明かりの下で見た瞬間、見覚えのある顔だと思った。
「君は……」
「アーサー・カークランドだ。ずっとお前を探していた」
「探していた……?」
アルフレッドはぶるりと寒気がした。彼はカジノであった男だ。あの時も、アルフレッドをずっと見ていたとか言っていた。もしやストーカーか? ホモの……。
「どうしてカジノに来ない?」アーサーは言った。凄く寂しそうな情けない顔をしている。
「それは……、」
アルフレッドは理由を考える。それは、カジノに行けば、アーサーにまた会うのではないかと思ったからだ。彼に会いたくなかった。また会って、売春の事をとやかく言われたら、面倒だと思った。
「君がいるからさ」
アーサーは不満げに顔を歪める。彼はアルフレッドの言葉に傷ついたのかもしれない。
「俺は……」
早く離れたかった。
「Bye」
そう言って、冷や汗を垂らしながら、アーサーの横を通り過ぎて行こうとした。
「行かないでくれ! アルフレッド!」
アルフレッドはちらりと振り返る。アーサーは苦しそうな顔をしていた。自分の胸元を掴んで、眉根を寄せ、必死で……。目には涙すら浮かべていた。
アルフレッドは怖くなった。なんだか、近付いちゃいけないと思った。一歩あとじ去ると、アーサーも一歩距離を詰めてきた。嫌だった。自分の魂をさらわれてしまう予感がするのだ。逃げよう。アルフレッドは持っていたギターをアーサーに向かって投げつけた。彼がギターに気を取られている内に、アルフレッドは走り出した。
やってしまったと思った。白い車のボンネットには大きなへこみと、ヒビが出来ていた。アルフレッドは挙動不審に辺りを見回す。
なぜこのような事態に陥ってしまったのか……。
アルフレッドは公園でアーサーにギターを投げつけた後、町中を逃げ回った。背後にはアーサーの手が迫っていた。道をひた走るだけでは、いづれ限界が来る。そこで、アルフレッドは建物の中に入って、姿をくらまし、アーサーを巻いて仕舞おうと考えた。そして、近くのデパートに逃げ込んだ。しかし、運の悪いことに、そこへ入るのをアーサーに見られてしまい、彼もまた、デパートに入ってきてしまったのだ。なので、アルフレッドはエスカレーターを早足で上り、二階まで来ると、男子トイレに逃げ込み、そこの窓から外へ飛び降りたのだった。ちょうど下には白い車があった。二回ぐらいの高さなら、マット代わりにした車のボンネットはそんなに傷つかないですむだろうと思っていたが、考えを見誤ってしまったらしい。まさかここまで大きな傷になるとは。無論、アルフレッドの方に傷はない。
他人の車を壊してしまったのだ、弁償しなくてはいけないだろう。だが、マダムと寝なくなって、十分な儲けがなくなったアルフレッドには、金がない。
幸運なことに、運転手は車を離れてどこかに行っていて、目撃者は通行人くらいしか居なかった。逃げるが勝ちと物は言う。その時、アルフレッドは、逃げよう、と思った。人として最低だけど、逃げないで正直者になったところで、大事な愛車を壊された相手方は、簡単には許してくれないだろうし、勿論金だって請求される。今、金を持っていないアルフレッドには到底支払えない金額を請求されるだろう。そうなってしまったら、当分の生活が成り立たなくなる。それに、ぼやぼやとしていたら、アーサーに見つかってしまう。
アルフレッドは、極々自然な調子で、道を歩きだした。このまま謝ることもせず、逃げる事に対し、申し訳ない気持ちはある。罪の念に苛まれた心も苦しい。胸が、何かに締め付けられているみたいで、息がしずらい。だけど、ごめんよ。逃げるしかない。この先の生活を考えての決断だった。
事故を目撃した通行人の責める視線を背中に感じながら、アルフレッドは車から、どんどん遠ざかっていく。
「俺様の車を壊しておいて、何も言わずに逃げるたあ、良い度胸だ」
その時、背後から聞こえた言葉に、アルフレッドは、ぎくり、と肩を跳ねさせ、立ち止まった。
ゆっくりと首を動かし、後ろを振り返ると、壊れた車に寄り添いながら、アルフレッドの事を冷めた目つきで見つめる男を見つけた。その男は、背が高く、痩せ形で、短い髪は銀色をしていた。瞳の色は赤く、まるで赤ワインの様である。
アルフレッドが怯えている事に気づいた、その車の所有者は、意地悪そうな笑みを顔に浮かべた。
「そ、ソーリー」アルフレッドは、兎に角謝った。だが、謝ったくらいで、はい、許しますとは、流石にいかなかった。
「弁償しろ」と男は鼻持ちならない調子で言った。
金。世の中、金だ。
アルフレッドは、男の要求に、苦笑いで応える。
「無理だぞ」
そして、アルフレッドは逃げた。足が勝手に動いていた。別にアルフレッドは悪くない。アルフレッドの本能が逃げる事を選んだのだ。車の所有者が何かを叫んだ。でも、聞き取れなかった。がむしゃらに腕を振って、足を上げる。
だが、道路の曲がり角を曲がったところで、アルフレッドは襟首を掴まれ、後ろに引っ張られた。
「おう、相手が悪いぜ、お前」
赤目の男は、ぜえ、ぜえ、と息を乱しながら、アルフレッドを捕まえ、言った。アルフレッドも、ぜえ、はあ、と息切れを起こしていた。全力で走ったのに、追いつかれ、捕まってしまったという事が、アルフレッドには信じられなかった。運動神経だけは、絶対的な自信があったのに。
「相手が俺様じゃなかったら、上手く逃げられたな」と男は笑った。アルフレッドは、むすっとした顔で、男を睨みつけた。
「俺を捕まえたところで、弁償なんてしないぞ」
男は片眉を上げる。
「おいおい、何言ってんだ。壊したのはお前なんだから弁償してもらうぜ」
「でも……」とアルフレッドは言い淀む。「弁償するだけのお金を持っていないんだぞ。俺、貧乏だからさ……」
そんなのお前の都合だ、と赤目の男は怒鳴った。出来ないから出来ないと言ったのに、やれと怒鳴られるのは理不尽だ。アルフレッドは未だに掴まれている襟首から、彼の手を払った。
「お金なんて持っていないんだぞ。どうしてもお金が欲しいってなら、俺じゃなく、他を当たってくれよ」
「他も何も、俺様は、お前に当てられたから、お前にたかってんだ。金が無ぇなら、どっかから調達してこい!」
「無理だぞ。そんな当てはないからね!」
「兄さん、何をしているんだ」
ぎぎぎ、と言い合いをしている横から、声を挟まれ、アルフレッドが声のした方を見ると、金色の短い髪をポマードでがっちり固めた、厳めしい顔の男が立っていた。彼は、筋肉のしっかり付いた太い両手に、買い物袋をぶら下げている。
「ルート」と彼を見た赤目の男が叫んだ。
「このアホが俺様の車を壊しておきながら、弁償はしたくないと抜かすんだ」赤目の男が、アルフレッドの顔を手で指し示しながら、非難がましく”ルート”に言った。
「だって、お金がないのにどうやって弁償すれば良いんだい?」アルフレッドは、たまらず、腹を立てながら叫ぶ。
「色々あるだろ。金を調達する方法は……」赤目の男は、呆れて、疲れたという感じで言った。「世の中にはな、金がなければ貸してくれる親切な窓口があるんだ」
男が言うのは、つまり借金をしろっていう事だ。闇金でもサラ金でも良い。
だけど、借金なんて、とアルフレッドは思う。年も若く、しっかりとした職に付いていないアルフレッドが、借金なんて一体出来るものだろうか。金をタダで貰うわけではない。借りるのだ。万が一借りられても、借金をすれば、重大な責任が発生する。期限までに返さなくてはならないのだ。しかも、返す金額は利子を上乗せした金額だ。借金を返すために、借金をする地獄に陥る事になるかもしれない。今請求されている車の修理代より、もっと高額な金額を、今度は別の人間に請求されるのだ。金貸しは悪どい事をやっているという噂を聞く。借りた物を返さなかったが為に、殺されるなんて事があったら……。
うー……、とアルフレッドは低く唸った。
「頭が痛いんだぞ」
色々考えすぎて。
「仮病を使うな」と赤目の男は怒った。
「仮病じゃないんだぞ。本当に痛いんだ」
「アルフレッド!」
ぱたぱたと誰かが走ってくる。
「オウ、シット……!」
走ってきたのはアーサーだった。
アルフレッドは彼の姿を目に留めるやいなや、逃げようとしたが、赤目の男に襟首を捕まれていて、それは出来なかった。
「よーよー、誰だお前」赤目の男は側に来ようとするアーサーを手で制止しながら言った。「こいつの保護者か?」
アーサーは大人しく男に襟首を捕まれたままのアルフレッドを見やる。
「どうした……? 何か……」
「こいつが俺様の大事な車に一生もんの傷をつけちまったのよ」
「くるま……?」
「上からズドーンとやりやがったんだ。まあ、見てくれ」
赤目の男は、アルフレッドを確保したまま、アーサーを自分の車の元へ案内した。後ろから赤目の弟のルートが着いてくる。
「ひでぇな……」車の惨状を目にしたアーサーは痛々しそうに低くうなる。
「だろ? で、弁償はしてくれるんだろうな?」
赤目の男が直ちにアーサーに金の催促をすると、アーサーはぎょっと驚いたみたいだった。
「なんで俺が弁償しなくちゃならねぇんだよ!」
「だって、お前、こいつの保護者だろ」
アーサーは口をつぐんで、アルフレッドの顔をじっと凝視する。
アルフレッドは自分の失態を見られる恥ずかしさに居たたまれなくて、アーサーと目を合わせられなかった。
やや間が空いて、アーサーは口を開けた。
「わかった。俺が払う」
アルフレッドは耳を疑った。今、彼は何と言った? アルフレッドは、アーサーの顔を見る。彼は口元に若干の笑みを湛えている。アーサーが何を考えているのかは計り知れなかった。
「よし、払ってくれるんだな?」
「ああ……たが、少し、そいつと話がある」アーサーはアルフレッドを顎でしゃくり、言った。
アルフレッドは赤目の男に放られて、アーサの元へ差し出された。アルフレッドは怯えていて、青い両目はしどろもどろに周囲をさまよっていた。さっきから話を切り出そうとせず、ただ黙っているアーサーは、なんだか雰囲気が怖かった。別に恐がる必要なんて、ちっともなかったのかもしれない。だけど、無言の圧力というのか、ただじっと凝視されるのは落ち着かない。
「君は、なんで俺に付きまとうんだい?」沈黙に耐えきれなくなって、アルフレッドは、半分睨みつけながらアーサーに疑問をぶつける。「なんで……?」
アーサーの喉仏が、ごくり、と上下するのが見えた。
「お、お前に話があって……」アーサーはアルフレッドに詰め寄る。
アーサーの真剣な眼差しが、アルフレッドの双眼を射抜く。至近距離で顔を覗かれながら、アルフレッドは自分が緊張していることに気がついた。なんだかドキドキするのだ。彼は一体何を言い出すのだろう。
「アルフレッド、聞いてくれ」
「なんだい」
「一晩だけで良い……俺と……」
ごくり、とアルフレッドも唾を飲む。アーサーが近づく。そして、アルフレッドの耳元に彼は唇を寄せた。彼は小さく囁いた。
「寝てくれ……」
ブホッ。鼻水を吹き出す所だった。
「寝るって、なんだい?」
「そりゃあ、お前がカジノで客を引いてやっていた事を、俺にもしてくれって事だよ」
アーサーは、もごもごと言った。彼の耳は真っ赤に染まっている。
アルフレッドの顔から血の気が引いていく。
「なな、何を言い出すんだい、君は……!!」
拒絶の感情をあらわに叫ぶと、アーサーは焦ったように首を振る。
「いやいや、アルフレッド! 頼む! 一晩だけだ! 車は俺が代わりに弁償してやる、だからっ、お前は俺に体を提供してくれ!」
「俺はホモじゃないんだぞ! 絶対に嫌だぞ!」
アルフレッドの足に縋りつかんばかりに、急に必死になったアーサーに、アルフレッドは若干引いていた。
「嫌なんだぞ!」
歯を剥きだして叫んでやれば、アーサーはムッと眉をひそめ、機嫌を損ねた様だった。
「じゃあ、お前、一人で車弁償できんのかよ」
「ぅぐ……」
痛い所を突かれた気分だった。出来るわけがない。お金なんてないのだ。
「でも、嫌なんだぞ……」自信なさげにアルフレッドは拒否の言葉を吐く。
「話は終わったか、てめえら?」横から赤目の男が割り込んでくる。「俺様だって暇じゃねぇんだ。さっさと出すもん出してくれねーと」そう言いながら腕時計で時間を確認している。
「アルフレッド、」アーサーがアルフレッドの返事を促す。
「うぅ……」
アルフレッドは男と寝るだなんて断固として嫌だったが、でも、考えなくてはいけなかった。金もない。逃げることも出来ない。でも、幸運な事に自分の代わりに金を払ってくれるという人はいる。
だけど、この人は、車の修理費を代理する代わりに、アルフレッドに夜の相手をしてもらうことを望んでいる。
うう、うう、と、さっきからアルフレッドは唸ってばかりいる。アーサーは、そんなアルフレッドを、かわらず険しい目つきで凝視していた。可哀そうな19歳の青年アルフレッドは、神様に助けを求めずにはいられない。男と寝るなんて嫌だ。なんとかこの場を切り抜ける方法はないか。そのとき、アルフレッドは、あることに気がついた。さっきから寝るだ寝ないだと、うだうだと悩んでいるが、別に悩む必要なんてない。寝て、お金を払ってもらえるなら、寝てしまえばいいのだ。
「O~K~」とアルフレッドは言った。「寝るよ。君と」
アルフレッドはアーサーに向かってにっこりと微笑む。無垢、無邪気、それは天使のような微笑みだった。
「ありがとう……」アーサーは感激して、頬をバラ色に染めた。
「全然だぞ。お礼を言わないといけないのはこっちの方だからね」
「アル……っ」
アーサーは涙を飲み込み、平静を装って懐から小切手を取り出し、赤目の男に渡した。
それを見ながら、アルフレッドは心密かにほくそ笑んでいた。男なんかに体を売るなんて、そんな馬鹿な事は絶対にしないのだ。
「話と違うじゃねぇか!」
ベッドに横たわるアルフレッドを前にアーサーは怒気を孕んだ声で叫んだ。もし、彼が帽子を持っていたなら、帽子を床に叩きつけていたところだ。
アルフレッドは毛布をたぐり寄せ、ふかふかの枕に頭を押しつける。シャワーを浴びたばかりで、まだ湿っている金髪が、さらり、と枕に広がる。
「君と寝るとは言ったけど、ヤらせるとは言っていないんだぞ」アルフレッドは布団の中で意地悪な笑みを浮かべた。
アーサーは歯を食いしばり、顔を怒りで真っ赤にして、わなわなと体を震わせてベッドの前に立っていた。その哀れな様子を見て、アルフレッドは更に可笑しかった。
アーサーの左頬は、赤く晴れ上がっている。それは、さっきアルフレッドが殴ったからだ。
車の生産を終えた後、二人はタクシーを拾い、近くのホテルに向かった。フロントで受付を済ませ、ホテルの客室に入るなり、二人は順番にシャワーを浴びた。先にアルフレッドがシャワーを浴び、次にアーサーが浴びた。アルフレッドはベッドに入り、冷蔵庫に入っていたジュースを飲みながらアーサーがシャワーから上がってくるのを待っていた。アーサーはすぐにやってきた。水を滴らせ、ほんのり肌が赤くなっている。妙に色っぽいのが何だかむかついた。風呂上がりのアーサーは、上機嫌にアルフレッドに詰めよると、アルフレッドの頬にキスしてこようとした。そこへすかさずアルフレッドのパンチである。アルフレッドの思いもよらない攻撃に、頬を殴られたアーサーは、最初は、きょとん、と、訳が分からないと言いたげに目を丸くしていた。
「触らないでくれるかい? 今日俺は、君と寝はしても、乳繰り合う事は絶対にしないんだぞ」
冷やかに言うアルフレッドの言葉を、アーサーは間抜けな顔で聞いていた。そして、数分後にその言葉の意味を理解し、アーサーの顔は見る見る内に真っ赤に染まってった。
「寝ないのかい? アーサー」
アルフレッドがベッドにスペースを空けてやっても、彼はベッドの前に突っ立ったまま動かなかった。もう十分くらいこの状態である。かなり怒っているらしい。でも、いくらか表情が緩んでいるように見える。
「一緒に寝ないなら、君はソファで眠ってくれよ」
アルフレッドが言うと、アーサーは慌ててでベッドに乗り上げ、布団に入ってきた。
「俺の体には指一本触れないでくれよ。一緒に寝るだけって約束だからね」
アルフレッドが釘を差せば、アーサーは不満そうに頬を膨らませたが、それでも、小さく頷いてくれた。
アーサーが明かりを消す。部屋が暗くなる。
「寝よう」アルフレッドは言った。
「ああ」とアーサーが答える。
闇の中、二人は無言だった。お互いの呼吸音と、身じろぎして、皮膚と布団がこすれる音ぐらいしか聞こえてこない。金のためとはいえ、男と二人きり、同じベッドで寝るのは何だかなぁ、とアルフレッドは今更ながらに思った。柔らかい体の女性だったなら、アルフレッドだって気分は良かったものの、今隣に居るのは堅くて平べったい体の男なのだ。男の体温を隣に感じたって、同じ男のアルフレッドにとっては薄ら寒いだけだった。
「なあ」
気まずい沈黙の途中で、アーサーが声を掛けてきた。
「なんだい?」
「くっ付いても良いか……?」
「NOだぞ」
それ以降、眠るまで何も話はしなかった。二人して無言で眠くなるのを待って、そして、眠くなったら、勝手に眠った。
ちちち、小鳥の鳴き声。カーテンから朝の陽光が部屋に差し込んでいる。
「う、ん~……」
アルフレッドはベッドの上で身じろぎをする。すると、ごてん、とおでこに固い感触がぶつかった。
「ふぇ?」
なんだろう、アルフレッドは薄目を開けてみる。
肌色だ。目の前に肌色がある。少し身を引いてみれば、全体像が計り知れた。どうやら自分の横に白人の男が寝ているらしい。しかも半裸で。彼はガウンを着ていたらしいが、ガウンは、はだけてしまっており、それはすでに衣類の役割を果たしていなかった。広げられた胸元から除く、筋肉質な少々汗ばんだ胸板に、アルフレッドは少し見入ってしまった。そんなことより、首の後ろにさっきから違和感があるけど、なんだろう。アルフレッドは頭を少し動かしてみる。腕だ。どうやら、アルフレッドは目の前のこの男に、腕枕をされている状態であるらしい。
寝起きで、ぼう、としているうちにアルフレッドの記憶が呼び起こされていく。そういえば、昨日色々あった気がする。
アルフレッドは勢いよく、がばり、と起き上がる。
カーテンの隙間から見える窓の外は明るい。
一晩が経ったのだ。
「うわっ、」
何の前触れもなく、アルフレッドは腕を引かれ、ベッドに仰向けに倒れた。見ると、アーサーの手が、アルフレッドの腕を掴んでいた。アーサーは、横になったまま、酷く寝むそうだったけど、それでも目を、開けていた。その目は、妖しげな熱を孕んでいた。
アルフレッドは、一瞬、どきっ、とした。そんな目で見つめられて、気恥ずかしくて、アーサーの視線から顔を反らした。
すると、アーサーは、アルフレッドの手を、あっさりと離してくれた。今度はアーサーがベッドからがばりと起き上がる。
「もう朝だな」アーサーはカーテンのしまった窓を見ながら、その隙間から刺す陽光に目を細め、言った。
「そうだね」
アルフレッドはベッドから降りて、自分の服に着替え、帰り支度を始める。それをアーサーは黙って眺めていた。
「バーイ、アーサー」
「ああ……」
玄関先で見送られ、アルフレッドはアーサーと別れた。
今日は夕方からバイトが入っている。いつものバーだ。夕方まで時間があるから、少々弾き語りでも……、と思ったところで、アルフレッドは重大なことに気がついた。
「オウ、ノー! 俺のギターがないじゃないか!」
アーサーはアルフレッドと別れた後、しばらく休んでからホテルを出た。頭の中はぼう、としている。ふわふわとして、アーサーは夢を見ているかのような感覚を味わっていた。歩く足も、どこか覚束ない。惚れた相手と一晩を共にしたのだ。ただ、寝ているだけだったけど、いや、正確にはアーサーは興奮しすぎて眠れなかったのだが。
アルフレッドが寝ているすきに腕枕をしてやったし。……まあ、幸せだった。いや、すごく、幸せだった。
ホテルの前には高級ベンツが停められていた。中から黒い上等なスーツを着た運転手が出てくる。
「おはようございますアーサー様」
「ああ……」
運転手は、アーサーが入れるように、車の後ろのドアを開けてやる。アーサーは後ろの座席に乗り込み、運転手がドアを閉めた。運転手は運転席に回って、車の中に入ってくる。
「どうなさいましたかな、アーサー様。お顔が優れませんが」
「いや……」
アーサーは静かに溜息を吐く。窓の外を眺めながら、アーサーはアルフレッドの可愛い寝顔を思い出す。
……可愛かった。本当は激しく抱いてやりたかった。でも、駄目って言われたから出来なかった……。
「無理矢理にでもやっちまえば良かったんだ……どうせ、これが最後だったんだからな……」
「何かおっしゃいましたか?」
「いや……」
「そういえば、アーサー様。お預かりしていたこれは、どういたしましょうか」
運転手は助手席から一本のギターを取り出す。それはしっかりとカバーにしまわれている。見覚えのあるそれ。
アーサーはカッと、目を見開く。顔が自然に笑ってしまうのを押さえられなかった。
「後で持ち主に返しに行く」
「さようでございますか」
運転手は車にキーを差し込み、エンジンを入れる。
車は、ゆっくりと走り出した。