ヘタの米様贔屓ブログサイトです。 米受け二次小説を書いています。R18禁サイトです。
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薄汚れた金色の、長い毛足の、大きな野犬が、深夜、道路を歩いていた。彼は澄んだ青色の目をしていて、とても愛らしい顔だちをしていた。
のそのそと、巨体を揺らしながら歩く彼の頭の中では、お腹が空いた、早くコンビニのゴミを漁りたいという考えが浮かんでいる。
細い通りを出て、犬が大きな通りまで出てくると、目の前を、鉄の車がぴゅーぴゅーともの凄い早さで走っていく光景に出くわした。犬の目には、車が、まるで色のついた風に見えた。
道路の向こう側に、コンビニがある。犬はそこに行きたいが、車の流れが速いので、すこし車の流れが穏やかになってから、道路を渡ってやろうと考えた。犬は歩道の脇にしゃがんで、道路を見つめ、飛び出す機会を伺っていた。
ぐー、と犬の腹が鳴る。座っているだけでも腹が減る。犬は早くコンビニのゴミを漁りたくて仕方がない。首を動かして、車の流れを追い、車と車の間に、大きな隙間が出来たとき、さあ、渡ってやるぞ、と犬は立ち上がって、前足を蹴り、道路へ飛び出した。
その時、大きなクラックションが鳴った。犬が見ていなかった反対車線から、車がやってきたのだ。犬は、運転手の驚き、青ざめた顔を見て、自分も驚いた。次の瞬間には、車のボンネットに跳ね飛ばされ、犬の体は空を高く飛んでいた。そして、歩道の方まで跳ね飛ばされた犬は、コンクリートの地面に容赦なく叩きつけられた。体のあちこち全てが痛くて堪らない。犬は弱々しく鼻を鳴らし、横たわっていた。手足が折れているようで、そこから骨が飛び出し、血が滴って、体の回りに大きな血の水たまりを作っていた。犬を轢いた車は、犬のことなど放っておいて、遠くに行ってしまっていた。
だんだんと、視界が暗くなってきて、犬は、自分が死ぬのだ、と悟った。目が完全に見えなくなったとき、自分は死ぬのだ。怖い……。
死の恐怖に体を震わせていた時、犬の前に一台の車が止まった。車の半分下は黒く、半分上は白い色をしていた。車の天井の赤いランプがくるくると回りながら灯っていた。
中から人が出てきて、犬の前に立った。彼は腰に銃とサーベルを携帯しており、犬は彼が警察官であると分かった。ずいぶんと華奢な体つきの警官ではあったが、彼の眉毛は、今までに見た人間の中で一番立派な形をしていた。
「大丈夫か、犬っころ」と警官は犬に声をかけた。
犬は警官を見つめながら、瞬きを何度か繰り返した。
「今助けてやるからな」
警官は、そう言うと、犬の体を抱き抱え、パトカーの中に連れ込んだ。パトカーの中には、もう一人、顎に髭を生やした警官が乗っていた。髭の警官は、犬の怪我を見ると、酷いな、と呟き、顔をしかめた。
「アーサー、この近くに動物病院ってあったっけ?」と髭の警官は、眉毛の立派な警官に聞いた。この眉毛の警官は、アーサーという名前なのか、と犬は思った。
「ああ、真っ直ぐ1キロほど車で走って、ガソリンスタンドを右に曲がって細い通りに入ったら、橋がある。橋を渡って少し進んだところに、けっこう大きな動物病院があったはずだぜ」とアーサーは答えた。
「よし、わかった」
そして、警官二人と、一匹の犬を乗せたパトカーは、猛スピードで、サイレンを鳴らしながら夜の道路を走って行った。
病院で、大がかりな手術を受けた犬は、ケージの中で疲れて眠りこけていた。その体には白い包帯がたくさん巻かれていた。頭や、手足、胴体。誰が見ても、まったく痛々しい姿だった。
犬の手術を引き受けた獣医は、ベテランのお爺さん医者で、大変腕が良いことで有名だった。獣医は、動物を愛しており、犬が病院に連れてこられたとき、犬の怪我の痛みを思って、とても悲しんだ。そして、ひき逃げした車に怒りを覚え、犬を連れてきてくれた警官に感謝した。絶対に命を助けてやるんだ、と獣医は心に決め、手術を見事に成功させた。
「金はいらないよ」と獣医は警官に言った。「野良を治療するときは、うちはタダなんだ。だって、野良は金を持っていないだろう」
犬は暫く安静にしていなくてはならなかった。だが、動物病院は人気で、他にも治療を望む動物が一杯居たので、長いこと休めるベッドが空いていなかった。獣医がその事を警官に相談すると、警官は自分たちで引き取ると申し出た。警察署で飼っている警察犬と一緒なら、世話も出来るだろうという話だった。
獣医にとっても、怪我をした犬にとっても、ありがたい話で、獣医はそうしてもらうと助かると伝えた。
こうして、野良だった、この愛らしい犬は、優しい警官たちの手に引き取られたのだった。
警察署に来た犬は、アーサーによって、野良犬に間違われないように赤い首輪をつけられ、そして、”アルフレッド”という名前をもらった。
アーサーに「アルフレッド」と呼ばれると、犬は弱々しく返事をした。
アルフレッドは犬小屋に連れて来られ、四匹の警察犬と対面した。彼らはそれぞれケージに閉じこめられていて、アルフレッドがやってくるとケージの中で、のっそりと起きあがった。
「怪我をしているんだ。暫くここで面倒を見るから、みんな、よろしくな」
アーサーがそう言うと、四匹の警察犬は了解したとばかりに、大きな声で吠えた。アーサーはとても安心したようだった。
寝床になるケージが足りないので、アルフレッドは、新聞紙とタオルを敷いた床に寝かせられた。アルフレッドが腹を空かしているだろうと、顎髭の警官――彼はフランシスという名前だった――が気を利かせて、消化に良い柔らかい餌を作って持ってきてくれた。アルフレッドはそれを食べ、とても元気になり、眠くなって欠伸をすると、ぐっすりと深い眠りに落ちた。
アルフレッドの世話は、アーサーとフランシスの役目だった。アルフレッドが犬小屋の中で生活をしていて見るのは、アーサーとフランシス、それからブリーダーの菊の姿だけだったが、ある日、アルフレッドの寝床に、知らない人がやってきた。その人は、恰幅の良い体をしていて、もの凄く、お腹が大きかった。そのお腹は全部脂肪でできていて、とても柔らかそうだった。アーサーは、彼を署長と呼んだ。署長は気むずかしい人で、怪我をし、包帯を巻かれたアルフレッドを見ると、薄い唇を歪め「こんな使えないもの拾ってきおって……」と愚痴を言った。彼はただ一匹の餌代が増えることを良く思っていなかった。署長はそれだけ言うと、すぐに犬小屋を出て行ってしまった。そしたら、アーサーも、彼を追って出ていってしまった。まだ、体が自由に動かせないアルフレッドは、する事もなく、地面に顎をついて静かに目を閉じた。
アーサーとフランシスに拾われてから、二ヶ月くらい立つと、アルフレッドの体は庭を元気に走り回れるぐらいに回復していた。アルフレッドは、他の警察犬と一緒に、トレーニングを受け、自分はてっきり、これから警察犬になるのだと思っていた。
だが、それは違った。署長が、アルフレッドのために、新しい飼い主を見つけてきたのだ。
アーサーとフランシスが、街を見回りに行っているすきに、署長は全ての手続きを一人で進め、アルフレッドを、新しい飼い主の家まで送り届けてしまった。見回りから帰ってきたアーサーとフランシスは、もぬけの殻となってしまったアルフレッドの粗末な寝床を見て、心の底から悲しんだ。
「うるさいよ、このくそ犬!」
知らない家の庭に、鎖で繋がれていたアルフレッドは、ホームシックにかかり、遠吠えを繰り返していた。その声があまりにうるさかったので、腹が立った新しい飼い主は、アルフレッドを叩いて、こっぴどく叱った。
「お前なんて、別に貰わなくてもよかったんだ。だけど、あたしの友達が困っているっていうからね、引き取っちまったんだよ。あたしはとんだお人好しだね。いらない物を貰っちまうんだからさ! 犬なんて嫌いだよ!」
新しい飼い主は、他人の顔色ばかり気にする人だった。自分を良く思って欲しくて、いらない世話を焼いて仕舞うのだ。飼い主が良い顔をするのは、おもに人間に対してで、畜生だと思っている動物や虫に対しては、また、態度が違った。
餌は一日一回、もしくは、二日に一回、残飯を出されるだけだった。散歩にも連れて行ってはくれない。体を撫でてくれるわけでもなく、アルフレッドが吠えたり、飼い主と目があったりすると、飼い主は激しく怒って、アルフレッドを叩いた。そして、何でもないとき、ただ暇だからと言う理由で、叩きもした。
アルフレッドが歯を剥き出し、うなり声をあげ、反抗的な態度を示すと、飼い主は今度は、よくしなる鞭を持ってきて、アルフレッドの体を叩き、痛めつけるのだ。
散々虐待されたアルフレッドは、すっかり大人しくなってしまった。警察署での暮らしを思い出すと、あそこに帰りたくなって辛くなるので、アルフレッドは、なるべく思い出さないようにした。だけど、たまにあそこでの暮らしを夢に見て、無性に帰りたくなる。アーサーや、フランシスや、菊に会いたくなる。一緒に訓練した仲間の警察犬に会いたくなる。そんな気持ちになる度、アルフレッドは鳴き声を押さえられず、鳴いてしまった。そして、この瞬間を待ちかまえていたかのように、鬼のような形相の飼い主が鞭を持って玄関から飛び出してきて、アルフレッドを叩くのだった。
人間になりたい、とアルフレッドは思った。人間だったら、首を鎖で繋がれる事はないだろうし、動物嫌いの飼い主に叩かれる事もない。人間になったら、自分の怪我を治してくれた獣医にお礼を言いに行って、それから、自分の世話をしてくれた警察署のみんなにもお礼を言いたい。
アルフレッドは、神様がどんなものか知らなかったが、毎日空に向かって、お祈りをした。
世の中には色んな神様がいる。その中で、世界を構築した偉い神様がいた。彼はとても耳がよく、人の声や、植物の声、動物や虫の声を聞いて、世界をよりよい方へ作り続けていた。彼は、毎日聞く声の中で、アルフレッドの声を聞き取った。犬が人間になりたいというのである。よし、お前が死んだら、次は人間に生まれ変わらせてやろう。だが、この神様はとてもドジだった。アルフレッドが死を迎える前に、神様はアルフレッドを人間にしてしまった。
悲鳴が聞こえて、アルフレッドは目を覚ました。気持ちよく眠っていたのに、誰だろう。
アルフレッドは、重い首をもたげて目を開けた。すると、目の前で、顔を青くしている飼い主を発見した。普段は、血のよく通った、肉々しい赤ら顔をしているのに、今は見る影もなく、血を失った死人のようだ。
「あんたは、誰なの!」飼い主は震える声を抑えるようにして叫んだ。
「アルフレッドだぞ」とアルフレッドは答えた。
ただ、それだけ、自分の名前を名乗っただけだというのに、飼い主は強烈な悲鳴を上げて、白目をむき、ばたり、と地面に倒れた。
いったいどうしたというのだろう。アルフレッドは、飼い主が急に倒れるのを不思議に思って、様子を確かめるために、倒れた飼い主に近づいていった。そのとき、アルフレッドは自分が二本足で歩いていることに気がついた。しかも、その足には毛がなく、真っ白な色をしていて、とても長い。アルフレッドは立ち止まって、自分の体を眺め回した。小さなひずめだった前足は、五本の指が伸びて、紅葉の葉の大ききなやつの様な形をしている。腕は体の横についてるし、しっぽもなくなっていた。前に飛び出し、いつも視界の邪魔をしていた鼻と口は、すっかり小さくなって、顔に収まり、背だって、とても大きくなっている。まるで、アルフレッドの姿は人間だった。
長い手指は、恐ろしいほど自由に動かせた。アルフレッドは、その指を使って、鎖を外した。鎖は地面の芝生の上に転がり、アルフレッドの首には、赤い首輪だけが残った。
アルフレッドは、今もなお、倒れたままで動かない飼い主の上にかがみ込んで、その顔を見た。彼女は泡を吹いていた。そして、呼吸が止まっていた。飼い主は若くなかった。密かに心臓を煩っていたのだ。だから、自分の家の庭に、鎖に繋がれた裸の男がいるのを見て、驚いた拍子に、心臓が飛び上がり、そのまま止まってしまったのだった。
もうアルフレッドを虐める者はいない。アルフレッドは、晴れて自由の身になると、飼い主の体を飛び越えて、塀の外へ逃げ出した。
アルフレッドが外に出ると、アルフレッドに出会った人々は、次々に悲鳴を上げた。その中には、驚いて立ち止まったり、また、笑ったり、はやし立てたりする者も居た。アルフレッドは、彼らの反応がとても面白くて、心の底から笑った。だけど、人間の姿を見つける度に、アルフレッドの頭の中には、なぜか倒れた飼い主の姿がチラついて、気分が悪くなった。
「放っておいたら、あの人は死ぬんだぞ」
でも、死んでくれた方が有り難いのだ。彼女に鞭で叩かれ、虐められるのは、もうこりごりだ。だけど、どうしてか、アルフレッドは心のもやもやを押さえられなかった。胸が痛み、心がざわつく。倒れた飼い主を無視しようとして、できない自分が居る。
アルフレッドは、色々考えて、ついに飼い主を助ける決断を下した。アルフレッドの頭の中には、彼らの顔が浮かぶ。警官のアーサーとフランシスだった。彼らなら、きっと助けてくれるだろう。彼らを呼びに行こう。アルフレッドの命を救ってくれたんだ。飼い主の命も救ってくれるだろう。
新しい飼い主の元へ送られるとき、署長の車の中から見ていた景色を思い出しながら、アルフレッドは、時々道に迷いつつも、夕方には警察署にたどり着く事が出来た。
警察署の懐かしい門の形を見ると、アルフレッドは気分が高揚して、涙が流れそうになった。アルフレッドは直ぐに警察署の中に走った。
すると、突然、一人の中国人警官が、アルフレッドの目の前に立ちはだかった。
「お前、なんて格好をしているある。公然猥褻の容疑で逮捕あるよ」
彼は呆れたように言うと、アルフレッドを捕まえた。そして、アルフレッドの両手に重い手錠をはめてしまった。これにより、アルフレッドの両手の自由が利かなくなった。
「何をするんだい、外してくれよ」
アルフレッドは、そう言うと、邪魔な手錠を外そうと躍起になった。
「鍵がないと外れねーある。無理に外そうとすると怪我するあるよ」
彼は、アルフレッドの腕を取って、どこかに連れていこうとする。
「待ってくれよ。俺、アーサーとフランシスに会いに来たんだ。彼らは、今どこに居るんだい?」
「知らねーある」
彼は、アルフレッドを一階の渡り廊下を渡った先にある、警察署第二棟の取調室に連れて行った。
「ここに、アーサーとフランシスが居るのかい?」アルフレッドは、二人の匂いがしないかと、鼻をきかせた。
中国人警官は取調室の扉を開けて、アルフレッドを中に入れた。そこは、一人分の小さな机と、机を挟むように置かれたパイプ椅子が一組、部屋の真ん中に置かれているだけの、窓のない薄暗い、じめっと、しけった味気ない部屋だった。部屋の壁は剥き出しのコンクリートで、壁に出来た黒いシミが、なんとも不気味だ。天井には蛍光灯が一つだけ灯り、二つ対になった蛍光灯のもう一つの方は、球切れらしく、ちかちかと点滅を繰り返している。そして、その蛍光灯の上には、わんさと埃が積もっていた。
「お前の格好は、あまりにも見苦しいあるから、我が下着を借りてきてやるある。座って待っているよろし」中国人警官は、面倒くさそうな半目で言うと、部屋を出ていった。彼は部屋を出る前に、扉に鍵をかけていった。部屋の中に一人残されたアルフレッドは、すぐに扉に飛びついて、扉を引っ張り、開けようとしたが、鍵は頑丈で、しっかりとつっかえを果たしており、開けられなかった。
閉じこめられてしまった。どうしたものか。アルフレッドは部屋の中をぐるぐると歩き回った。
早くしないと、飼い主が死んでしまう。
「アーサー! フランシス!」
アルフレッドは鍵のかかった扉を両手で叩きながら叫んだ。何度か叫んで、アルフレッドは諦めた。
しばらくすると、中国人警官が戻ってきた。彼は鍵を開け、部屋の中に入ってきた。彼の腕には、誰が使ったのか分からないヨレた服と、ズボン、それから下着が抱えられていた。彼はそれらを机の上に置いて、アルフレッドに向き直り、近づいてきて、アルフレッドの手錠を外し、言った。
「さあ、着替えるある」中国人警官は机の服を指さす。
アルフレッドは首を横に振った。
「いらないよ、俺、裸で居る方が楽なんだ」
「そういう個人の主張は関係ねーある。人前では服を着ろ。いいあるか? これは社会のルールね。守らなきゃいけない。守らないと逮捕され、罰を受ける」
「罰?」アルフレッドは鞭で打たれた記憶を思い出して、体を震わせた。
「分かったよ。着るよ。だから、鞭で叩くのだけはやめておくれよ……」
アルフレッドは、渋々服を身につけた。中国人警官は、アルフレッドの体が、しっかりと布に包まれ、肌が見えなくなると、満足したようで、肩から力を抜き、安心したように表情を緩め、短いため息を吐いた。
「アーサーとフランシスを呼んでくれよ」着替え終わったアルフレッドは、もう一度、改めて中国人警官にお願いした。
「奴らを呼ばなくてはならない用件ってのは、いったい何ある?」
彼はアーサーとフランシスを知っているような口振りだった。
「彼らに助けてほしい人がいるんだぞ。……俺の、飼い主」
「飼い主……?」中国人警官は眉をひそめた。
「そうだぞ。突然悲鳴を上げて倒れちゃったんだ。今も、庭で倒れているんだ。早く助けないと死ぬかもしれない」
ははーん、と中国人警官は、薄く笑い、頷いた。
「てっきり、ただの露出狂かと思っていたが、そういう人種あるか」彼は独り言のように呟いた。
「まあ、死にそうな人間が居るというのなら、助けに行かないといけないあるな。我々警官は、市民の為に尽くすのが任務ある。で、その飼い主が倒れているという場所はどこある?」
「住所は分からないけど、道のりは分かるんだぞ。一緒に行って案内するよ」
中国人警官――彼は自分のことを王と名乗った――は、アルフレッドに道を案内させるため、再びアルフレッドの両手に手錠をかけ、一緒に廊下に出た。そして、いざ、飼い主の元へ行こうとしたが、王は、その前にやることがあると言って、アルフレッドを引き留めた。なんでも、パトカーに乗って、そこに向かうには、もう一人、警官を乗せないといけないというのだ。王は、彼の仕事のパートナーだという警官を呼びに行った。
それで、王が連れてきたのは、なんとも身覚えるのある男だった。黒い髪に、垂れ目の、背の低い男。アルフレッドは、彼を見た瞬間、目が潤み、心に温かい物が沸き立つのを感じた。顔が自然に笑ってしまう。自分の溢れんばかりの愛を、すぐにでも彼にぶつけたい。とそんな気持ちになった。
「菊!」
アルフレッドは叫び、その彼、菊に抱きついた。
「こらー! この変態っ! 公務執行妨害あるよ! 菊から離れるある!」
すぐさま王が怒り、アルフレッドを菊から引き剥がそうと躍起になったが、アルフレッドは凄まじい力で菊にくっついていた。
「会いたかったんだぞ! 菊!」
「あの……、申し訳ありませんが、どちら様でしょうか……?」菊は、知らない男に抱きしめられる恐怖に体を強ばらせながら、アルフレッドに聞いた。
「アルフレッドだぞ!」
「あるふれっど……?」
「忘れちゃったのかい?」アルフレッドは、信じられないと言いたげに目を丸くした。そして、しゅんと落ち込んで、頭を垂れる。「俺は、みんなの事ちゃんと覚えているんだぞ……」
よよ、と泣き出すアルフレッドを慰めるように、菊はアルフレッドの髪を撫でてやった。なぜ、自分がそんな風にアルフレッドを甘やかすのか、菊には分からなかったが、アルフレッドを見ていると、愛しさがこみ上げてきたのだった。
「お前等……どういう知り合いある……?」
「……さあ、どういう知り合いなんでしょうか……」
さっそく、三人はパトカーに乗って、出発した。アルフレッドはパトカーの中から指さしで道を指示し、それに従って、王が車を運転した。パトカーの後ろには、すぐ救命活動ができるようにと、救急車も着いてきていた。
「その家だ!」
青い屋根の古い家を見つけると、アルフレッドは叫んだ。路肩にパトカーを停め、三人と、救急隊は、車を降りて、家の敷地に走った。家の横を通って、庭に回ると、そこには誰も居なかった。ただ、何かを繋いでいたらしい鎖が地面に転がっているだけだった。
「倒れている方は、いらっしゃらないみたいですが」と菊が言った。
「そこのばあさんなら、さっき、わしが救急車を呼んで、病院に運ばれていったよ」菊の声に返事をするみたいに、庭いじりをしていた隣人のじいさんが隣の塀から顔を出した。「まったく驚いたね。最初見つけたときは死んでんのかと思ったけど、近づいてみたら、息してんだもんな。まあ、虫の息だったけどさ」
「そうなんですか」
救急隊が本部に連絡を入れ、アルフレッドの飼い主が、近くの病院に運ばれて息を吹き返したという情報を得る事ができた。アルフレッドはひとまず、ホっとした。隣人のじいさんは、警官や、手錠をはめた顔の可愛い男、それから、引き上げようとする救急隊を、塀に手をついて眺めながら、何か言いたそうにしていた。そして、彼は、とうとう言うことにしたらしい。
「警官がやってきたのは丁度良い。わしは、ここから、とても我慢ならんことを見て、聞いてきた。お宅さんたちに、この話をぜひ聞いてほしい。そして、お宅さんたちにはそれを聞いて、正しい行動を迅速にしてもらいたい」じいさんは、なにやら神妙な顔で語り始めた。「この家のばあさんが倒れたのは、神様の罰だ。わしは、この家のばあさんが、散々悪いことをするのを見てきた。そして、あの可哀想な犬の泣き声を聞いて、わしは自分を責められている気になったもんだ。……ある朝、仏頂面の男が大きな茶色い犬を連れてきたんだ。この家のばあさんは、その男を大事にもてなし、そして、連れられてきた犬をそこの鎖に繋いだ。男は逃げるようにすぐに帰り、ばあさんは犬を睨みつけながら、何かののしっていた。わしは、こっそり覗いていたのだが、まったく驚いてしまったよ。あのばあさんがあんな顔をするのは初めて見たもんだからさ。普段は穏やかな優しい人だったから、その時は、犬がばあさんの気に障るような、何か悪いことをしたんだと思った。それにしても大きい犬だった。わしは、ばあさんが、さきの男から、いつもの面倒見の良さから犬を預かり、数日経ったら返すもんだと思っていたんだ。犬もかなり成長していたし、ばあさんが犬を自分で飼い始めたようには見えなかった。そして、その日から、あの犬にとって、辛く悲しい日々が始まったんだ。年老いて、腰が曲がるようになった弱そうな老人でも、犬一匹を虐めるだけの力は残っている。ばあさんは、わしが見ている前で、犬を虐待し始めた。もっとも、わしは、庭いじりのため、いつもしゃがんでいたからな、ばあさんは見られている事に気づいていなかった。毎日続く虐待は、とても見ていられるようなものじゃなかった。可哀想に、鞭で叩かれる度、丸い青い目を潤ませて、怯えて、体を震わせていたよ。餌も十分に与えられていないようで、犬の体は日に日に痩せ細っていった。犬の心は散々な虐待に痛めつけられ、元気がなくなり、尻尾は下に垂れ下がり、表情も暗く、うつむいてばかりいるようになった。わしは、他人の家のことだからと、恥ずかしい話だが、見て見ぬ振りをしていたんだね。とても可愛そうだったが、口を挟んで、因縁をつけられたら、たまったもんじゃない。特にここのばあさんは外面だけは大変よく、近所の住民に好かれていたからな。自分が村八分にされることを考えると、先を考えて口を出す勇気がもてなかったんだ。そして、今日の事件だよ。警官さん。神があの女に天罰を与えくださったんだ。だって、あんな理不尽なことをしていたんだからな。神が見過ごすはずがない。わしが見つけたときには、ばあさんが庭に倒れ、そして、鎖につながっていたはずの犬の姿は、すっかり消えていた。ばあさんの体に、犬に襲われたような形跡はなく、わしはホッとした。何かとても運命的な事が起こり、不憫な犬を救ったんだと、わしは、その時思ったよ。悪事を働けば、いつかあがらえがたい力で、神から罰が下るんだ。……犬が逃げ出せたのは良かったのさ。だが、わしは次の瞬間には犬の行方が気になった。逃げた先で、また悪い奴に捕まって、嫌な思いをしているんじゃないか、餌がなくて、腹を空かせているんじゃないか。あんなに可哀想な思いをしていた犬だからな。また可哀想な目に遭っていたら……そんな事を考えて、わしは胸や、腹の奥が痛くなった。もし、あの犬が預かりの犬だったなら、飼い主の手元にちゃんと返してやってほしい。もし、何かの不運で、あの女の手にたどり着き、預かりではなく、譲り受けたという話なら、警官さん、あんたらが犬に情けを掛けてやって欲しい。おこがましい話で、すまんが、あんたらは普段から悪を取り締まっているぐらいの、良い目利きだし、あの女の代わりに、ちゃんとした飼い主を見つけてやれることだろう。まあ、わしが犬を引き取るという手もあるが、なんせわしは老い先が短い。いつ死ぬか分からない独り身だ。あの子には、きちんと最後まで世話してやれる保証のある、善良で真面目な思いやりのある人間を見つけてやって欲しいんだ。そして、飼い主がいるなら、ちゃんと飼い主の手に返して欲しい」
「なるほど、わかりました。私たちが何とかしましょう」菊はそう答えた。
「なんてババアあるか!」と王も怒って言った。「その可哀想な犬は我と菊がしっかりと探してやるある!」
二人の警官が息巻くのを横で聞き、アルフレッドは居ても立ってもいられず、口を開いていた。
「ちょっと待ってくれよ。俺はここに居るぞ。だから、探さなくても良いんだぞ」
王と菊がアルフレッドに白い視線を向ける。アルフレッドはにこやかに微笑んで言った。
「俺をここに連れてきたのは署長さ。彼は俺の飼い主じゃない。俺を犬小屋から引っ張り出して、車に乗せて、ここへ置いていったのさ。俺の前の飼い主はフランシスとアーサーと菊だ。それから、寝床を共にした仲間たち。俺は、みんなの所に戻って、またみんなと一緒に暮らしたいんだぞ!」
アルフレッドは、また皆と暮らせると思って、嬉しくなり、胸がわくわくした。
「フランシスさんと、アーサーさん……?」菊は顔を強ばらせながら疑問を抱いて呟いた。
「私は何かとても思い当たる節があるのですが、でも、アルフレッドさんのお姿を見ると、訳が分からなくなって、頭が混乱してしまいます。あなたはいったい、ここのおばあさんとどんな関係で?」菊はアルフレッドに尋ねた。
「俺は、ここで鎖に繋がれていたんだぞ」
アルフレッドは、地面に転がった鎖を指さして答えた。
「こりゃたまげたね、坊ちゃん。その鎖に繋がれていたのは、人間じゃなくて、犬、だ」隣人のじいさんは、アルフレッドの馬鹿馬鹿しい発言に目を回して言った。
「そうだぞ。俺は犬だ。でも、人間になったんだぞ」アルフレッドは胸を張って言い返した。
「ああ、何ということだ……」
じいさんは酷くショックを受けた様子だった。手のひらを額に当てて、大きく息を吐き、クレイジーと呟いた。彼は、アルフレッドのことを、完全に頭のイかれた男だと認識したのだった。
「ねえ、菊、俺はまた、あそこに戻れるのかい? みんなが居るところに」
菊は何ともいえない表情で笑った。