一人一人の人間には意識があり、考え方があり、好き嫌いがある。全ての人間が同じ意識を共有しているわけではない。だが、人々にはそれを知っていながら、理解できない。人は自分と違う者を嫌い、目の前から消えて貰うよう悪戦苦闘する。愚かなる身勝手な思考が、世界を不幸にしている。
2xxx年、愚かな大人たちの思惑により、全世界で戦争が勃発した。それは、人類の全ての価値観、宗教、考え方を一つに縛り付けるという、恐ろしい計画の戦争であった。
へタリン王国の国民は、全てが兵士だ。生まれたばかりの赤子であろうが、足腰の利かない死にかけの老人であろうが、平等に兵士である。金のある家は、子供を兵学校に通わせ、キチンとした訓練を受けさせたのち、正式なエリート兵士として、士官の道へ歩ませてやるよう補助する。だが、金のない、貧しい家は、兵学校に通えないので、無学で価値がないとされ、彼らは全て使い捨ての特攻兵となる。
この国に貧しい三人の兄弟が暮していた。兄のアーサー、双子のマシューとアルフレッドである。歳は、上から10歳、6歳、6歳である。彼らは、国に特攻兵として収集を掛けられる日を、今日か、明日かと、毎日怯えながら待ち暮している。
そして、遂にその日がやってきた。
レンガと安いトタンで作った小さな馬小屋の様な家を、赤い服を着た騎士が訪ねてきた。アーサーは彼を礼儀正しく、迎え入れ、事づけを受け取った。この騎士は通信兵であった。
「国より、決定しました意向を伝えるべく、私はやってまいりました。ただいま、国は幼児の特攻兵を必要としています。貴殿の館には。6歳になる幼児が二人も居ると噂に聞き、こうして確かめに参ったのです。……この噂に間違いはないですな?」
アーサーは何も言わなかった。だが、彼の後ろで、家の柱の影に隠れながら、静かに、騎士を窺っている小さな頭が二つあったので、騎士は間違いないと、受けとった。
「明日、幼児を引き取りに車を一台やるので、逃げようなどと考えず大人しく待っていて下さい。では」
騎士はアーサーの手に召集令状を握らせると、車に乗って、帰って行った。
「アーサー?」
放心して、玄関に佇むアーサーに弟のアルフレッドが声を掛ける。
「俺達、とっこーするのかい?」
アーサーは乾いた笑いを零し、虚ろな目で弟たちを見下ろした。
「……しない、そんな事させない。俺達は一緒に逃げるんだ。だから、大丈夫だ、心配するな」
アーサーはそう言うと、奥の部屋に入り、大きな麻袋を引っ張り出し、その中に僅かな食料の全てと、少しの服、毛布や、鍋、食器を詰め込んでいく。無言で行われるその作業に、緊迫感が漂い、双子は恐怖を覚えた。
「マシュー、こわいよ……」
「大丈夫だよ、アル。アーサーさんがいるんだから」マシューはアルフレッドの左手を右手で握る。アルフレッドはマシューの温かい手の温度に、少し安心した。
「ガキ共行くぞ」
アーサーは荷物を入れた麻袋を肩に担ぎ、玄関に向かって走った。それを後ろから双子が手を繋ぎながら追いかける。アーサーは勢いよく玄関のドアを開けた。しかし、そこで立ち止まってしまった。
「アサ……どうしたんだい」
アルフレッドは外に何かあるのかと思って、アーサーの足を押し退け、外を見た。そこには数人の男達が立っていた。彼らは近所に住んでいる、同じく貧しい村人たちだった。アーサー達と違うのは彼らが大人であるという事だ。
「逃げるのか?」一人の男がアーサーにキツイ眼差しを向けて尋ねた。
アーサーは歯を食いしばり、男を睨みつけた。
「先程通信兵がお前の家に入ったのを家の中から見ていた。通信兵が家を訪ねる時ってのは、だいたい召集令状を持ってくる時だけだ。それに、そのデカイ荷物……。逃亡は重罪だ。反逆行為だ。我々は国を守る兵の一人として、お前達の逃亡を阻止する!」
男の尋常でない怒気に、幼い双子は恐れをなして泣きだした。
「逃げられんように縄で縛り付けろ!」
兄弟達は縄で縛られ、家の中に転がされ、涙にくれながら夜を明かすこととなった。
次の朝、日が昇って直ぐに騎士が現れ、縄で縛られている三兄弟の中から小さい双子だけ攫い上げた。
「アーサー! アーサー!」
「アーサーさん!」
「アルフレッド! マシュー! 待ってくれ! 連れて行かないでくれ! 俺も一緒に……っ」
「残念だが、国が今欲しているのは幼児の足であり、お前の様なデカイ子供ではない。お前は次の機会を大人しく待つのだ」
騎士は冷酷にそう言い捨てると、双子を両脇に担いで家を出て行った。
後に残されたアーサーは狂ったように、いつまでも泣き叫び続けた。
アルフレッドとマシューは車に揺すられながら、ずっと泣いていた。だが、二時間程泣くと、涙も乾き、泣き声を上げる事しかできなくなった。
「うっとおしい嘘泣きはやめろ」車を運転している騎士が、フロントミラーごしに、後ろの席に座る双子を睨みつけて言った。
嘘泣きと言われ、アルフレッドはムッときた。
「うそなきじゃないぞ」
「嘘泣きだろ。だって涙が出ていないじゃないか」
アルフレッドは言葉につまった。マシューがアルフレッドの気持ちを察して、慰める様に、アルフレッドの肩に頭をもたせてくる。アルフレッドは思いっきり泣いてやろうと思って、顔をくしゃくしゃに歪めたが、一滴涙がこぼれた位で、後は何もでないので、泣くのをやめた。アルフレッドは車の窓から外を眺める。山や荒野ばかりの景色が後ろに通り過ぎて行く。
「どこに行くんだろう」アルフレッドは不安から身体が緊張し、手足が小刻みに震える自分に気がつき、自分は何て憐れなんだと思った。どこに行くのか、わからなくても、自分達がどうなるのかは幼いアルフレッドでも知っていた。特攻兵の末路は皆同じなのだ。
死。
無残な死体。
今まで沢山みてきたのだ。そして人々がささやく特攻兵の噂や実態を耳に入れてきた。
決して逃れる事は出来ない、受け入れざるを得ないこの決まり。自分達が選ばれたのなら、仕方ない。とアルフレッドは早くも諦めていた。ただ、死んだら、兄や、双子の片割れに会えなくなるのが辛くて、その事ばかり考えて悲しくなった。
更に三時間のドライブの末、車は、目的地である、基地に着いた。高い塀を潜り、車を降りて、縄を外された双子は、騎士の後ろについて、基地の建物に入っていった。
「ごくろう」神父の格好をした痩せた老人が現れ、騎士から双子を受け取った。双子は、今度は神父に連れられて、建物の中の廊下を歩き、或る部屋に入った。そこは教会であった。アルフレッドやマシューと同じくらいの歳格好の子供達が数人十字架の前に膝まづいていた。
「お前たちも最後のお祈りをするのだ」神父は双子に優しく教え、双子は膝まづき、目を閉じ、お祈りを始めた。
アーメン……アーメン……
「ねえ、アル」お祈りを終えると、マシューがアルフレッドの服の袖をひっぱり囁き声を出した。「死ぬ時は……一緒に死のうね。最後まで……手を繋いでいよう」
「O.K」
アルフレッドはマシューの手を固く握りしめた。
「子供達よ、武器が届いた!」神父が熱のこもった声を上げると、幼児たちは皆一斉に入口の方を振り返った。その扉が開けられ、兵士がガラガラと手押し車に乗せた爆弾を運んできた。
神父は手押し車から、爆弾を一つ掴みあげて見せた。爆弾には上下左右にベルトが繋がっていて、体に固定できるようになっている。
「一人づつ、前に来なさい」神父は子供達に言った。だが、誰しもが恐がって前に出て来ないので、神父が自分で子供を捕まえに行かなくてはならなかった。
神父は子供の腹に爆弾を括りつけながら、一人一人に激励の言葉を掛けてやった。アルフレッドは「いっぱい殺してくるのだぞ」と言われ、マシューは「逃げるなよ」と言われていた。
一人の女の子は「しっかりと死んでこい」と言われ、泣きだしてしまった。慰めるものは誰もない。この場に居る子供達が彼女と同じく死ぬというのが、彼女の慰めである。
「神の御加護が、彼らの作戦を成功させますように!」
神父に見送られながら、子供達は、爆弾を運んできた、ガタイの良い兵士に連れられ、外に出た。外には、七人の兵士が、横一列に並んで立っていた。彼らは、子供一人につき、一人当てがわれる兵士であると、爆弾を運んできた兵士は説明した。言われた通り、特攻する子供達は、全部で七人いた。
「お前たちの行くべき場所までの道案内をし、最後を見届けてくれる方々である。尊敬を持って、彼らの言葉に従う事だ」
アルフレッドにはロバートという気難しい顔の男の兵士があてがわれ、マシューにはシェリーという女の兵士があてがわれた。アルフレッドとマシューは、ここまでずっと手を繋いでいたのだが、このシェリーという女の兵士に繋いでいた手を無理やり解かれてしまった。
「手を放しな。あんたらは一緒には居られないんだ。皆別々の所に行くんだよ」
「え? どういう事だい? 俺達は死ぬ時も一緒だって誓ったんだぞ。ずっと一緒に居るんだ!」
アルフレッドがマシューの手をもう一度取ろうとすると、シェリーがその手をぴしゃりと叩いた。
「お前はロバートとヘタリン湖に行くんだよ。あたしらはAP岳。まったく正反対の場所だ。さあ、最後のお別れを言いな」
「嫌だよっ、マシュー! 一緒に居るんだぞ! マシュー、マシュー!」
「アル……!」
「ふんっ、出発だ」シェリーは嫌がるマシューの手を引きづり、自分の車に放り込んだ。
アルフレッドもロバートに抱きかかえられ、迷彩柄のトラックに連れて行かれ、助手席に放り込まれた。そして、この二つの車は、全く正反対の方向に走り出したのだった。
車に揺すられながら、絶望がアルフレッドの身体を支配していた。目の前が真っ暗で、もう何も見えなかった。
「そう落ち込むな。死んだらまた会える」ロバートが抑揚のない声で慰めてきたが、アルフレッドは聞いていなかった。家族から引き離され、本当に一人ぼっちになってしまった事が、アルフレッドの心に堪えた。
長い砂利道を走り、アルフレッドを乗せた車は、ヘタリン湖に着いた。ロバートはアルフレッドに双眼鏡を持たせて、湖の奥の藪の向こうを見るように言った。アルフレッドが双眼鏡を覗くと、なるほど、そこには大きな小屋があった。
「あそこに敵兵が居る。俺がお前の爆弾のスイッチを押したら、20分以内にあの小屋に辿り着き、できるだけ多くの敵兵の群れに突進しろ。爆弾は20分後に爆発する」ロバートはそう言うと、アルフレッドの頭を撫で、爆弾のスイッチを押した。その瞬間アルフレッドの心臓が忙しなく動き出した。
20分後……!
死ぬと考えるだけで、アルフレッドは発狂しそうだった。
「GO!」
ロバートに背中を突き飛ばされ、その勢いで、アルフレッドは走り出した。湖の横を大きく周り、藪に突っ込んでいく。アルフレッドの背よりも高い葦や、木のツルが、アルフレッドの身体を叩く。
体中を擦り傷だらけにしながら、アルフレッドは小屋の前に辿り着いた。そして、敵兵を探した。だが、敵兵に見つかるのが恐くて、アルフレッドは敵兵がいなければ良いのにと思った。敵兵に、見つかれば、彼らの敵であるアルフレッドは銃で撃たれ、殺されるだろう。爆弾で死ぬのは嫌だが、撃たれて死ぬのはもっと嫌だった。
小屋の中に入ろうか迷っていると、小枝を踏みしめた足音が聞こえ、アルフレッドは音のした方を振り返った。
「何、キミ」ヘルメットからシルバーブロンドのもみあげをはみ出させた、背の高い白人の男が藪から出てきた所だった。
「あ……」
「迷子?」彼は人のよさそうな笑みを浮かべた。アルフレッドは、彼が結構若い外見である事、そして、ハンサムである事に気がついた。
アルフレッドは殺人をしに来たというのはバツが悪くて、何も言わないでいた。
「ちょっと、着いてきてくれる」
その男はアルフレッドを手招きしながら、小屋ではなく、先ほど出てきた藪の中に入って着いて来るように言う。アルフレッドは迷ったが、見つかったのだから、きっと自分は殺されると思い、どうせ殺されるなら爆弾で道連れにしてやろうと、大人しく従うふりをして彼を追いかけた。男の足は速く、アルフレッドは彼を見失わずに後を追うのに苦労した。
男は藪を抜け、湖のほとりに着くと、立ち止まった。
アルフレッドが彼の傍に行くと、男は問答無用でアルフレッドの襟首を掴み、持ち上げたので、アルフレッドは驚き、悲鳴を上げた。そのまま、男はアルフレッドを湖の中に放り投げた。
アルフレッドは水中で、この男のくぐもった笑い声を聞いた。水から頭を出すと、その笑い声は鮮明になった。
「可哀そうにね。爆弾、使えなくなったね」
彼はコルコルと笑いながら言った。
アルフレッドは訳が分からなくて、どうしたらいいかわからなくて、水の上に頭を出した格好で浮いたまま、固まっていた。
そして、やっと勇気を出して、アルフレッドは声を発した。
「な、んで、爆弾持っているって、わかったんだい?」素朴な疑問だった。
男は又、楽しそうに笑い声を上げた。
「簡単だよ。君のお腹が異様に膨れていたから、何か入っていると思ったんだ。爆弾を担いで特攻してくる子供兵士の話は知っていたしね」
アルフレッドは息がつまった。
「俺の事、こ、殺すのかい?」
「子供とは言え、敵だからね。そうなるね」
淡々とした彼の答えに、アルフレッドは打ちのめされた。せめて、痛くないように、一瞬で、彼が自分の事を殺してくれないだろうかと願った。アルフレッドが水面に静かに最後の涙を零していると、男は湖に足を入れ、アルフレッドに近づき、手を差し伸べてきた。
「でも、僕、君は殺さなくても良いんじゃないかって思うんだ」と男は頬笑みながら言った。
「え?」アルフレッドは驚いて顔を上げる。
「爆弾を使えない君は、もう脅威じゃないし……それに、君可愛いしね♪ 可愛い子は殺すより別の罰を与えたいなって」
彼は笑っていたが、その紫色の目は笑っていなかった。彼の瞳には、狂気の色が浮かんでいた。罰と聞いたアルフレッドは、見てわかるくらい顔色を変え、恐怖から体を震わせ始めた。
「君みたいな可愛い子は、きっと男から可愛がられるよ……コルコル……」