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ひび割れた心を塞ぐのは(前篇)

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ひび割れた心を塞ぐのは(前篇)

 アルフレッドはテレビのコメディ番組を見ながらソファに座り、ボウルに入ったポップコーンをむさぼっていた。傍らには、4リットルのペットボトルのコーラーがある。コメディアンが何か面白いことを言うたび、アルフレッドは大声で笑っていた。
「おい、アルフレッド。床を汚すな」短い金髪頭の、アルフレッドよりも体が薄く、若干背も低い兄が、箒を片手に言った。
「仕方ないじゃないか。ポップコーンって言うのは手からこぼれ落ちるものなんだぞ」ふふん、と上機嫌に言ってやる。
「何言ってやがる。よそ見しながら食ってるからだろ」
 兄のアーサーは、アルフレッドが落としたポップコーンを箒で掃きながら、ついでにテーブルの上を布巾で拭いていく。
「きみ、そんなに綺麗にして、今日は誰か来るのかい?」
 アルフレッドが疑問を投げかけると、アーサーはぴた、と動きを停める。
「ああ、今日はあいつがくる」ほんのりとアーサーの顔を赤くして言った。
「オゥ……。そっか。今日は土曜日だったね……」アルフレッドは、あいつの顔を思い浮かべ、面倒くさそうに肩をすくめた。
 アーサーはテーブルを拭き終わると、今度はテレビの上の埃を拭いていく。テレビの中のコメディアンがまた面白いことを言ったが、アルフレッドは意外にそれが面白いと思えず、笑えなかった。ついさっきまでのアルフレッドだったら、きっと笑えていたかも知れないが。今はどうにも笑う気分じゃなくなっていた。なんでこんなに苦々しい気持ちになっているのか、アルフレッドにはよくわかっていた。あいつが来るからだ。

 数時間後に、家の呼び鈴が鳴った。アーサーはゆっくりと、だが、軽い足取りで玄関に向かっていった。彼はそのまま外に出て行った。アルフレッドが窓から覗くと、あいつとアーサーが抱擁をかわし、そして口と口でキスするのが見えた。これを見るのは初めてじゃないが、いつも始めてみた時みたいにショックに打ちのめされる。二人は家に入ってくる。アルフレッドは慌てて窓から離れ、ソファに座った。
「よ、アルフレッド。元気か?」
「まあまあだぞ」アルフレッドはにっこり微笑んだ。
 あいつは、長いくるくるの髪を耳にかけていた。金髪の艶のある髪だった。青い目をしたフランス人である。彼が近くを通ると、バラの香りがした。アーサーと同じ香りだ。だけど、アーサーの方は、若干タバコのにおいがきつい。あいつはどこか女性的でありながら、まごうことなき男であった。美しく、儚い容姿をしているが、顎には髭を生やしているし、あいつが、アーサーをみている時は、特にあいつの顔が男っぽくなる事をアルフレッドは知っていた。
「ほら、可愛い弟君にお兄さんからのおみやげだぞ」
 あいつ、フランシスは、そう言うと、アルフレッドに小さな包みを差し出した。
「わぉ、なんだい?」アルフレッドはわざと嬉しそうに包みを受け取ると、慌てたように包み紙を破いて、中の品物を開く。おいしそうなフルーツケーキが入っていた。
「ケーキじゃないかー! HAHA! センキュー、フランシス!」
「どういたしまして」
 フランシスは、家に来るとき必ずお菓子をおみやげに持ってくる。これからやましいことをする謝罪のつもりで持ってくるのではないかと、依然アルフレッドは勘ぐったことがある。この勘は、きっと間違っていないだろう。フランシスとアーサーは二人で台所に行ってしまった。アルフレッドは嬉しい顔を作るのをやめ、不機嫌な顔になる。フランシスが家に来るときは、ご飯はアーサーとフランシスの二人がつくる決まりになっていた。もうすぐ昼時だった。アルフレッドはむすっとしたまま、ケーキを一人で平らげ、そのままテレビを見ながら昼飯が出来るのを待つことにした。
 昼飯はとても豪華だった。そしてとてもおいしかった。たとえ、あいつが作った料理でも、料理に罪はない。たわいのない話をして、楽しい雰囲気を作れたと、アルフレッドは思う。料理をほとんど平らげ、アルフレッドはお腹がいっぱいになった。
「お腹がいっぱいになったら眠くなっちゃったんだぞ。ちょっと部屋で昼寝してくるよ」
「おう。いけいけ。俺はアーサーと大人の時間を……ごふっ」
 フランシスはアーサーにどつかれ、腹を押さえてうずくまった。アーサーとフランシスは付き合っていることを隠し立てしていない。アルフレッドは腹に沸く思いをこらえて、苦笑いし、二人と別れた。
 自分の部屋に入ると、アルフレッドの顔から食事の席で作っていた笑みは消えていた。口元は不機嫌にゆがみ、眉は強く潜められている。柱に立てた鏡には、顔色の悪い自分が映っている。病人みたいだった。目なんか真っ赤だ。アルフレッドは自分が泣きそうなんじゃないかと思った。あいつが来る土曜日はいつもこうだ。気分が悪くなる。
 アルフレッドの部屋は散らかっていた。アルフレッドが片づけられない性格なせいだ。でもこの散らかった部屋が、今のアルフレッド悪い気分をを落ち着かせてくれる。
 アーサーとフランシスが付き合いだしたのはずいぶん前からだ。それこそアルフレッドが14歳の頃で、アーサーが18歳の時だったと思う。ちょうど父母が交通事故で死んだ頃から。あの時代のアルフレッドはアーサーから慰められながら、心の傷を癒した。逆にアーサーの方は……、職場の上司であるフランシスから慰められていたんだ。
 実は、アルフレッドはずっとアーサーのことが好きだった。家族愛ではなく、恋だった。親が死に、アーサーから優しくされていた間は、凄く幸せで、愛されている実感がわいていた。もしかしたら、この恋が実るかも知れないと密かに期待していた。だが、家に初めてフランシスが尋ねてきたとき、アーサーの態度から、アルフレッドは嫌な予感がした。そして、案の定、二人はその夜、アーサーの部屋で致した。


 壁の向こうから聞こえてくるぼそぼそ、ひそひそという声を、金髪のガタイの良い青年は聞いていた。彼はベッドに腰掛け、しばらく色あせた白い壁をじっと見つめていた。やがて声が聞こえなくなると、青年の瞳は不安に揺れた。一呼吸の間に、今度は、さっきとは違う、別の変な声が聞こえてきた。少女の寝息のような、妙に甘えたようで、とても短い音だった。青年、アルフレッドは、青白い顔をして立ち上がり、床に無造作においていたジャンパーに腕を通すと、足音を忍ばせながら部屋を出ていった。

 昼寝をするといって、二階の部屋に上がっていったアルフレッドは、しばらくすると、下にいた二人も二階に上がってくる足音を聞いた。彼らはふたり、となりのアーサーの部屋に入っていった。アルフレッドはこれから何が起こるのか、経験上知っていたので、だまってじっと息を詰めていた。そして、例の声が聞こえてくると、もう我慢ならなかった。我慢して耐えようと思っても、自分の体が言うことを聞かなかった。体は勝手に外へ向かっていた。

 外は、まだ陽が出ていた。空は淡い水色をしている。それでも、あと一時間ほどで夕日が上るという時間帯だった。アルフレッドは、家から離れたかった。家の中から外へでると、いくらか腹のどす黒いうねりが収まった気がする。アルフレッドは山へ行こうと思った。近くには山があった。山に行って虫取りをしようと思った。昔から、ずっとあいつが来ると、こうして山に虫取りに行っていた。虫は好きだ。虫取りをしていると気分が紛れる。
 アルフレッドは、ガレージに入って、網と虫かごを取ってくると、チェーンがゆるんだ自転車にまたがって、がらがらという騒がしい音をさせながら、どこまでも真っ直ぐな道を走っていった。町は静かであった。さすがは田舎町というぐらいである。周りは山に囲まれて、家が一つ、二つぽつぽつと点在しているほどで、人の気配はあまりない。たまに、農家のじいさんの姿を見つける。
 山へ行くには20分程自転車を走らせれば良かった。秋の山は、そろそろ紅葉が始まり、地面には落ち葉が散っていた。アルフレッドは山の入り口に自転車を止め、鍵を抜き、虫かごと虫取り網を持って山に入った。

 鳥がさえずり、鈴虫や、コオロギといった秋の虫が、美しい声を震わせて鳴いていた。天からは木の葉の間を縫って、木漏れ日が差し込み、とても薄暗いながらも、美しい景色だった。空気は夏の時よりも涼しかった。ときおり、木々の間をトンボが飛んでいく姿が目に入る。トンボも種類が様々で、赤いのや、水色っぽいの、黄色いのがいた。時に、アルフレッドは大きな蜘蛛の巣に絡まり、自分の体に、気持ちの悪い蜘蛛がくっついていないか確かめなくてはならなかった。アルフレッドは蝶やトンボ、カブトムシやバッタなどの昆虫は好きだったが、なぜか蜘蛛や蛇は苦手だった。
 少し歩くと、ススキの大群が風に静かに、なびいている所へ出くわした。そこで黒い蝶が飛んでいた。胴体の方はグラデーションのかかった、鮮やかな青色で、羽は黒い、シジミの貝殻のような模様をしていた。シジミチョウという品種である。黒い蝶というのはとても神秘的であった。アルフレッドは虫取り網を構え、ゆっくりと蝶に近づき、網を振り下ろした。蝶は網の中でじっとしていた。アルフレッドは網を伏せたまま、網近づく。近くでじっくり蝶をまんべんなく観察すると、アルフレッドは網から蝶を離してやった。
 アルフレッドは、虫を捕まえて殺すとか、傷つけるとか、手で持て遊ぶとか、そんなことは一切しない。ただ、捕まえて、近くでその獲物を眺め、満足すれば逃がしてやっていた。
 30分くらい、山の中を歩き、美しい柄の蝶を捕まえては逃がした。蝶を捕まえている間は、美術館のすてきな絵画を見て回っている気分だった。
 そろそろ陽が落ちてきた。空は赤っぽくなり、アルフレッドは、もうすこし虫取りを続けたい気分であったが、暗くなれば危ないので、帰らなくてはと思った。だが、家に帰りたくなかった。まだ、あいつはいるだろうか。自分が居ないことを良いことに、まだ、いちゃいちゃしていたりして。あいつがアーサーにしていることを考えると、凄く腹が立つし、残念な気持ちになった。だが、早く帰らないと、アーサーが心配する。アーサーは泣き虫なところがあるし、アルフレッドの帰りが遅くなれば事故にあったと思って泣いちゃうかも知れない。なんでだろう。好きな人が泣く顔って、見たくないんだ。たとえ、自分が苦しむとわかっていても、彼に泣かれるくらいなら、苦しむ方を選ぶ。

 元来た道を、アルフレッドは戻っていく。ぬかるんだ山道は、気をつけないとよく滑る。途中、アルフレッドは、ぱき、と何かが木の枝を踏みしめる音を聞いた。最初は気のせいだと思って無視をした。だけど、また、ぱき。
 アルフレッドは、ぴたりと足を止める。自分が踏んだのではないことはわかった。なぜなら、その音は、右側の奥の茂みから聞こえてきたからだ。アルフレッドは表情を険しくした。
 アルフレッドはなぜだか、いい知れない不安を覚え、ごくりと息をのんだ。熊だろうか……。それとも何か別の動物だろうか。なんだろうが酷い胸騒ぎがする。今まで熊に遭遇したことは一度もなかった。だが、いるという噂は聞いていた。冷や汗が額を伝った。
 アルフレッドは、音の聞こえた茂みに警戒を払った。茂みの葉が、少しでも動きはしないかと、目を凝らす。もし、熊が出てきたら、すぐにでも逃げなくてはならないと思った。
 いっぽう、強烈な獣の臭いというのは鼻孔に感じてこなかった。ということは熊ではない可能性が高かった。アルフレッドは、暫く茂みと睨めっこを続けた。
 ぱき、また音がした。
 アルフレッドはしびれを切らした。熊でないなら、音の正体はいったい何なのだろう。いっそ直ぐに姿を見てやりたい。胸がはらはらとして気持ち悪かった。この気分から早く救われたかった。アルフレッドは茂みを覗こうとした。だが、その前に、それは姿を現した。
 シルバーブロンドの右分けの柔らかなショートカットの頭、深い二重幅の目は、紫色で、冷たさを感じた。鼻は高く、唇は異様に赤かった。彼は人間だった。白っぽいジャンパーを着て、黒いジーンズに、茶色いブーツを履いていた。そして、彼の片腕には、一本の猟銃が抱えられていた。とても大柄な男だった。へたしたらアルフレッドよりも背が高いかも知れない。
 彼は感情の読みとれない、うつろな目でアルフレッドを見ると、目を細めて笑った。いい知れないスゴミがある。そして、彼は、鳥や鹿を見つけて、指さすみたいに、ごく自然な動作で、アルフレッドに銃口を向けてきた。
「ねえ、撃ってもいい?」その男は、甘えるように、穏やかな調子で言った。
「え……」
 一瞬、自分がどんな身に置かれているのか、アルフレッドは理解できなかった。
 きらりと光る、黒い鉄の穴。ああ、自分は見ず知らずの男に銃を向けられている。
 アルフレッドはとりあえず目の前の状況を自分に納得させ、それから冷静になって、拒否のため、静かに首を振った。
 男は、細めていた目をゆっくりと開いて、アルフレッドに冷たい一瞥を送った。
「どうして?」
 彼には、アルフレッドが首を横に振ったことがとても不満だったようだ。
「どうしてって……」
「死にたくないんだ?」
 君はそんな臆病な人間なの、と言いたそうである。
 鬱病でもないのに、銃に撃たれて死にたい人間がいるだろうか? 色々と文句を言いたいのをアルフレッドはぐっと我慢した。相手が本当に頭のいかれた奴なら、下手な事を言って、逆上させてはいけない。
「早くその銃を下ろしなよ……。危ないじゃないか」
 アルフレッドは言葉を選びながら、なるべく落ち着いた声で言った。
 男は笑いながら首を傾げる。
「僕は平気だよ?」
 君のことを言っているんじゃない、とアルフレッドは腹が立った。
「君が向けている銃口の先に立っている、俺が、君のせいで危ないんじゃないか!」
 男は、アルフレッドの発言の何が面白かったのか、楽しそうに笑った。それが、とてもふざけているように見えてアルフレッドは戸惑いを覚えた。
「何を笑っているんだい? 人に銃を突きつけておいて……君、それは人の命を弄んでいるってことなんだぞ。人として最低なことだぞ」
「サイテー? そうかなぁ……?」
 男は銃のトリガーに指をかけた。
 引き金が引かれる! とアルフレッドは思った。そう思ったら最後、アルフレッドは一目散にその場から逃げ出した。

 アルフレッドは逃げきれるとは思っていなかったが、それでも希望はあった。体力には人より自信があった。だが、敵もなかなか手強かった。寸前で追いつかれそうになる度に、アルフレッドは木の間を急に曲がって、敵を撒いた。銃で狙い撃ちされないように、ジグザグに走った。山の斜面はぬかるんでいて、滑りやすく、アルフレッドは何度も転びそうになった。止まってはいけない、と自分を追いつめ、アルフレッドは走った。しつこい敵は、なおもアルフレッドを追っていた。焦りが、アルフレッドの足を急かす。闇雲に走っているうちに、アルフレッドはまたぬかるみに足を滑らせた。ただ、今回はただ転ぶだけではすまされなかった。茂みがじゃまして見えなかったが、転んだ先は、崖だったのだ。ひやりと背中に汗が伝う。
 受け身の取り方も知らない。アルフレッドはそのまま崖の下に転げ落ちてしまった。


 崖から突き出た木の枝や岩肌に体をぶつけながら、アルフレッドは下に落ちて行った。きっと男にはアルフレッドが無様に崖から転げ落ちていく様が見えたことだろう。だが、幸運な事に、下は川沿いの浅瀬で、地面はよく水を吸った土でできており、それがクッションの役割をして、アルフレッドの体を受け止めてくれた。おかげで、無傷というわけには行かなくても命は助かった。ただ、右足を少し負傷した。少し、とはいっても、アルフレッドの右足はかなり大きく腫れ上がっていた。触れれば痛みが走る。骨折をしている可能性があった。アルフレッドは土の上に座りこんんで、右足の痛ましさに顔をしかめた。
 早く逃げなくては、アルフレッドは痛みをこらえ、無理矢理立ち上がった。だが、右足に強い痛みが走り、体の重みを支えられず、地面に崩れ落ちてしまう。
「いたた……」歯を食いしばって、アルフレッドは地面を転がった。
 ザー、という音がした。はっとして、上を見ると、あの男が、アルフレッドを追って、崖を滑り降りてくる姿が見えた。片手にしっかり銃を抱えて。アルフレッドは絶望した。
「逃げるなんて酷いよ」相変わらず冷酷な笑みを浮かべて、その男はアルフレッドの目の前に立って言った。アルフレッドは背中に冷たい汗が伝うのを感じた。体中を緊張させ、男の動きに注意を払う。
「どうしたの? へんな顔して……」
「どんな顔だい?」アルフレッドは平静を装っていった。
 男はアルフレッドの顔に銃口を向ける。
「苦しそう……。それに凄い汗だ」
 だが、男は何かに気がついたように、笑みを深めると、銃口を顔から、アルフレッドの足下に持って行った。そしてそのまま銃をアルフレッドの右足に振り下ろしたのだった。アルフレッドは銃の動きを止めようと思ったが、間に合わなかった。
 アルフレッドは怪我をしている右足を叩かれた瞬間、叫んだ。足を火で焼かれ、脳と心臓を鋭い針で刺されたような激痛が走った。涙が勝手にあふれ、勢いよく頬を垂れた。
「足……怪我しているの?」
 アルフレッドは肩を震わし、男の問いには答えない。じんじんと後を引く痛みで声も出せない。
「ねぇ、ってば」
 ごつん、と冷たく固い銃口がアルフレッドの眉間に当てられた。銃で小突かれて、返事を促される様が、余りに屈辱的だった。わかっていたから、叩いたくせに……。怪我に対する苛立ちも相まって、アルフレッドの体がぶるぶると怒りに震える。もう一度、眉間を銃で叩かれたとき、アルフレッドは濁流のような激しい怒りに襲われた。アルフレッドは銃を男から奪い取ろうと、銃につかみかかった。男は一瞬ぎょっとしたようだ。だが、取られまいと奴も必死になった。男の力は、力持ちと謡われるアルフレッドの力に負けず劣らず強かった。一悶着の末に、ついに、アルフレッドは怪我をしている方の足をけっ飛ばされ、痛みでうっかり手を銃から離してしまった。男はそのすきにアルフレッドから銃を奪い取り、アルフレッドを組み敷いた。そして彼は再び銃をアルフレッドの額に押し当てた。
「生意気だよ。君。そういうことするとっ、僕君に何するかわからないよ。凄く痛いことしちゃうかも」
 アルフレッドは男の獲物を見つけた獣のように鋭い目に、すっかり気圧されていた。力でも負け、強いその視線に、本当に殺されると思った。恐ろしかった。
 ぐり、と額に銃口の固い鉄の部分が当たって額に痛みが走る。ああ、死ぬんだ。自分が死んだら、アーサーとフランシスはどう思うだろうと、考え始めたら涙がぼろぼろ出てきた。彼らはきっと悲しむ。アルフレッドはこみ上げてくる嗚咽をひっしに押さえた。
 そのとき、ふ、と自分を組み敷く男の力が緩んだ気配がした。
「脱いで」と突然、男は抑揚なく言った。
 え、急に何を言っているんだろう。アルフレッドは思考が止まった。
「早く」
 折れた足をぴしゃりと叩かれ、アルフレッドは叫んだ。痛かった。痛くて仕方ない。叩かれた痛みに体が痙攣をおこす。
「ほら、早くして」
 もう一度叩かれた。これ以上痛めつけられては適わないと、アルフレッドは何とか体を動かす。
 まず、ジャンパーを脱いだ。ゆっくりと時間をかけて、ボタンを一つ一つはずし、袖から腕を抜く。それから、Tシャツも脱いだ。Tシャツの下は何も来ていなかった。上半身の真っ白な肌が、外気に晒される。
「綺麗な肌をしているね」男は言った。「下も脱いで」
 アルフレッドは嫌だったが、また痛い思いをすると思うと……。アルフレッドは泣きながらベルトをはずし、ジーンズを膝まで下ろした。右足に痛みが走って、全部は下ろしきれなかった。
 大事なところを覆う、薄い布のトランクスと、そこから突き出た、二本の柔らかそうな白い太股が丸見えとなった。
 男はしばし、アルフレッドの美しい太股に目を奪われていたが、すぐに我に返り、アルフレッドの代わりに、アルフレッドの足からズボンを引っこ抜いた。
「うぐ」ズボンを脱がされた衝撃で、右足が痛んだ。
「良い格好だね」
 かぁ、とアルフレッドの顔が羞恥に赤くなる。
 男は、アルフレッドが脱いだ服を全部一カ所にかき集めると、自分のジャンパーのポケットから、ウォトカの入った瓶を取り出し、蓋を開け、それを全部アルフレッドの衣類にぶっかけた。何をするのかと思いきや、彼はマッチを擦り、火を、服の上に落っことした。火は激しく燃え上がった。真っ赤な火の中で、アルフレッドの服が黒く焦げて、炭になっていくのが見えた。
 アルフレッドは言葉もでなかった。ただ、呆然と燃えていく自分の服を眺めた。服を燃やしていた火は地面にたどり着くと、時期に火力を弱めていった。水で湿った地面は、火を扱うのに良い環境ではない。火が消えた後、わずかに焦げた布切れが残った。
「君を殺した後の死体も、ああやって燃やしてあげるよ」男は恐ろしいことを言った。「ねえ、おもしろいでしょ」
 おもしろいだって? 本気で言っているのか。アルフレッドは男の顔を睨みつける。すると、驚いたことに、何を思ったのか、男の顔は見る見るうちに興奮の色に染まっていく。目に見えて変わる男の表情に、アルフレッドは恐怖を覚えた。
「あはは、君のこと、殺したいなぁ、僕。あんなふうにして殺したいな、こんなふうにして殺したいなって考えると、からだがぞくぞく震えてくるんだよね。ねえ、僕、君のこと殺してもいいよね? どう思う? 教えて。君の意見が聞きたいんだ」
 どうしてそんなことを聞くのだろう。答えは分かり切っているじゃないか。
「NO……」
「NO? 僕に殺されたくないっていうの?」
 アルフレッドは頷く。
「なんで? 君は死にたくない……? わかった。大切な人がいるから死にたくないんでしょ。そうでしょ? ねえ、大切な人って誰なの? 君の大切な人っていったいだれなの? ねえ、ねえ? 誰? 教えてよ? 誰なの」
 男は壊れたテープのように繰り返し、アルフレッドを問いつめる。そして、アルフレッドの首に手をかけた。
「ねえ、早く言ってよ。もったいぶっていないでさ。君の大切な人って誰なの? お父さん? お母さん? 違う? 恋人?」
 アルフレッドの首がぐぐ、と閉まる。苦しい、アルフレッドは男を突き飛ばした。男はよろめき、後ろに倒れた。もし、今、アルフレッドの足が悪くなかったら、この一瞬のうちに、彼から逃げられただろうに。
 男はゆっくりと起きあがった。よくも突き飛ばしてくれたなと言いたげに、恐ろしい形相でアルフレッドを睨みつけている。だが、とたんに彼は無邪気な明るい表情になった。
「わかった……。こうしよう。 僕は、君を殺さないよ。うん。本当だ。殺さないよ。君は怖いんだろ? 僕に殺されるのが。だったら、君のために、僕は君を殺さなくてもいい。だけど、君は今から、僕を君の大切な人の元へ案内しなくちゃいけない。僕はその人を君の代わりに殺すよ。それで君の命は助かる。僕の人を殺したい衝動も収まる。」
 アルフレッドは情けない顔をしていた。男の言うことが理解できない。なんだって自分の大切な人を殺されなくちゃならない。自分を殺されるより、もっと酷いじゃないか。アルフレッドはただ、首を横に振った。
「駄目? じゃあ、君が殺してよ。君の大切な人を。君の手で」
「……できるわけないよ……」
「意気地なしだね!」男は人をバカにするような声で言った。「いいよ、やっぱり君を殺すよ」
 男は再びアルフレッドの頭に銃口を当てる。
「安らかに」
 アルフレッドは覚悟を決め、うつむき、目を閉じた。世の中、あがらえない運命というのがあるのだ。今がその時だ、と思った。だが、いつまで待ってもその時はやってこない。アルフレッドはうっすらと目を開けた。その途端、右足に激痛。男がアルフレッドの怪我をしている右足を蹴っ飛ばしたのだ。アルフレッドは悲痛な声を上げた。それを聞いて、男は大笑いした。男は銃を捨てると、アルフレッドに覆い被さった。アルフレッドは背中をしたたかに打った。アルフレッドの体は、男により地面に押し倒され、両腕は、男の手により、地面に押さえつけられる。
「君の顔、恐怖の色に染まっているよ。凄く美味しそうだ」男は息を荒くしながら言った。
 男はアルフレッドの恐怖に震えた顔を味わうように、アルフレッドの頬から顎に舌を這わせた。ぬるりとした生ぬるい感触が皮膚の上を這うのは、気持ちが悪かった。
「もっと痛いことをしてあげても良い……」
「い、嫌だぞ……っ」
 ぱん、とアルフレッドは男に頬を張られる。それから何度も頬を張られた。アルフレッドの両頬はしもやけしたみたいに赤く腫れ上がった。
「ふは、ははっはは! あははは!」
 男はアルフレッドの顔を見て声を出して笑った。
 男の笑い声が悪魔の笑い声に聞こえる。不気味だった。ひりひりひりひりと頬が痛む。いま、だれかに助けて欲しい。自分でピンチを抜けられないから余計に、そう思った。助けて欲しい。この男から助けて。アーサー。でも、駄目だ。アーサーにはフランシスがいる。彼らは今幸せなんだ。こんな危ないところに来ちゃいけない。来なくて良い!
 ああ、死ぬんだ、一人で。
 死を意識し、すっかり弱気になったアルフレッドは悲しい未来の事を考え、諦めの気持ちに捕らわれ、絶望していた。
「イヴァンちゃん! やめなさい!」その時、可愛い、澄んだ女性の声が、この空気を切り裂いた。「あれほど言ったでしょうに! また余所の子を虐めているの!? お姉ちゃんの目を盗んで、なんですか!」
 木の間を駆けてくる女性の姿があった。ぱいーん、と張った豊満な胸が走るごとに激しく揺すられる。短いブロンド髪に、白いヘアバンドを刺していた。
「姉さん……」アルフレッドにまたがっていた男は女を振り返り、さっきまでの威勢はどこへ? 弱々しく呟いた。
「兄さん! 無事ですか!」
 もう一人、別の女の子の声も聞こえた。凛とした勇ましいはきはきとした声だった。大きな胸の女性の後ろに、ゴスロリ服を着た、長い金髪の細い体の少女がついてきていた。
 彼女のことを見て、男は、イヴァンは、顔をしかめ、「ナターリャ……」とまたも弱々しく呟いた。
「イヴァンちゃん、離れて!」
 ショートヘアの美女が、アルフレッドからイヴァンを引きはがす。彼女はアルフレッドの格好を見て、ぎょっとしたようだった。そりゃ驚くだろう。下着一枚身につけただけの哀れな姿だったのだから。
「もう、イヴァンちゃん! どういう事かな! 可愛い男の子を裸に剥いて! いつからあなたホモになったの……」
「違うよ、姉さん。服を燃やしてやったんだ……」
 イヴァンは、不気味に笑いながら、燃え残った服の残骸を指さす。いたずらを報告する子供みたいだ、とアルフレッドは思った。
「まあ、イヴァンちゃん。あなたって子は」
「兄さん、お怪我はありませんか? 少し目を離した好きに兄さんが居なくなって、私、心配しましたわ」髪の長い少女が遅れてやってきて、イヴァンの足下にひざまづき、イヴァンの手を取って、従者のようにほおずりをした。
「ナターリャ……ごめんね」イヴァンはナターリャの頭を撫でてやる。
 ナターリャは、イヴァンの手つきにうっとりとして、目を伏せ、長いまつげを震わせた。この少女はとても美しかった。妖精や、乙女という言葉がよく似合う。
「ナタちゃん、イヴァンちゃんを先に家に連れて帰ってくれるかしら」ショートヘアの女はナターリャに命令した。
「わかった」
 ナターリャは、イヴァンの手を引いて、山道を下っていった。彼女は一度だけ後ろを振り返り、それで、アルフレッドと目が合うと、侮蔑を込めた目で睨みつけてきた。睨みつけたのは一瞬で、彼女はすぐにイヴァンを連れて山下に姿を消した。なんたって、あんな目をするのか、アルフレッドは不思議に思った。
「さて、あなた」ショートヘアの女がアルフレッドに近づく。「怪我はない?」そう言いながら、彼女はアルフレッドの体に目を落とし、少し顔を赤らめながら、来ていたカーディガンをアルフレッドの肩にかけた。裸のアルフレッドを気遣ったのだろう。ありがとう、とアルフレッドはお礼を言った。ついでに、ごめんとも謝っておいた。女性に見苦しい姿を見せてしまった。
「ところで君は誰だい」アルフレッドは尋ねた。
「私は、ウクライナよ。イヴァンちゃん、あなたを襲っていた男の姉よ。そして、さっきいた髪の長い女は私とイヴァンちゃんの妹のナターリャ」
 そういえば、姉さんとか、兄さんとか、言っていたな、とアルフレッドは思い出す。
「君たちは家族なんだね」
「ええ、そうよ」ウクライナはしっかりとうなずいた。
「怪我をしているのは、この足かな?」
 不用意にウクライナから右足を触られたアルフレッドは、忘れかけていた痛みに、悲鳴を上げた。
「きゃ、ごめんなさい。……ここ。どうやら骨折しているみたいね。山を下ってすぐの所に私たちの家があるの。そこまであなたを運んで、それから救急車を手配するわね」
 ウクライナはアルフレッドに自分の背中を差し出した。
「私の背中に乗って」
「え、」
「怪我人は歩かせられないでしょ」
 アルフレッドはなかなかその背中に手をかけることはできなかった。いくら怪我をしているからと言って、女性の背中に大柄な男が乗るなんて、躊躇してしまう。
「日が暮れちゃうわ。早く乗って」
 ウクライナに急かされ、アルフレッドは、困った。決めかねていると、ウクライナは諦めて、アルフレッドを振り返った。
「わかったわ。おんぶはやめましょう」
「ああ、肩を貸してくれれば自分で歩けるんだぞ……」
「いいえ。それじゃあ、時間がかかりすぎるでしょ。あなたは歩くために必要な片足を負傷しているんですからね。私の首に腕を回して」
 ウクライナはアルフレッドに体を近付け、アルフレッドの背中を支えるように、アルフレッドの脇に左手を刺し入れ、右手をアルフレッドの両膝の後ろに添えた。
「まさか、きみ……っ」
 アルフレッドは少々嫌な予感がした。
 そのままウクライナはアルフレッドを軽々持ち上げてしまった。ふわっと宙に持ち上げられた感覚にアルフレッドは度肝を抜いた。女性でありながら、こんなに力持ちであるとは、たくましい限りである。
「私、こう見えて怪力なの。危ないから、私の首に腕を回していてちょうだい」
 アルフレッドは言われたようにした。
 すると、ウクライナは「ありがとう」と言った。
「お礼を言うのは俺の方だぞ。ありがとう」
「いいえ。私は弟がした始末をしているだけよ。あなたには迷惑をかけたわね。でも、イヴァンちゃんをあまり恨まないでね。あの子も可哀想な子なのよ……。とある事件から、あのこの頭はおかしくなってしまって」
「あいつ、俺を殺そうとしたんだぞ」アルフレッドはカッと怒って、ウクライナの話を遮るように叫んだ。あいつさえ追っかけてこなければ、怖い思いも、怪我もしなかった。イヴァンに張られた頬が、熱を持ち、未だひりひりしている。右足も脈の流れにあわせて激しい痛みを訴えていた。アルフレッドは興奮していた。殺されかけたのだ。興奮せずには入られない。
 ウクライナは悲しそうに首を振ると、興奮したアルフレッドを落ち着かせるように優しく微笑んだ。
「あの子に殺しなんてできっこないわ。たとえ殺そうとしているように見えても、それは、はったりね。あの子はそうやって人の心を脅かして笑うふしがあるの」
「だとしても、何でそんなことをするんだい?」
「あの事件のせいよ。あの事件はあの子の何もかもを壊してしまったんですからね。全部あの事件が悪いのよ。あの事件が、あの子の心に根深いトラウマを植え付けたの……」ウクライナは熱っぽく語った。
「あの事件って……なんだい?」
「それについては家に帰ってからじっくりとお話しするわ。今はまず、山を下りましょうよ」

 山を下りて直ぐ、その家はあった。一見、ボロい山小屋のように見える。屋根はトタンで、所々錆て、腐食していた。屋根に空いた穴は、藁と木の板で補強されている。玄関には薪が大量に積んであった。庭には雑草が好き放題生い茂り、それからちょっと離れたところに井戸があった。
 ウクライナはアルフレッドを両手に抱えたまま家の中に入った。家にはいると直ぐ、かび臭いにおいがぷーんと臭ってきた。質素な作りの部屋だった。ウクライナはそのまま居間に進入し、穴の空いた皮ソファの上にアルフレッドを静かに下ろした。それを、柱の影からナターリャが見張っている。
「ナタちゃん。イヴァンちゃんは?」
「部屋に置いてきた」
「そう。イヴァンちゃん、どんな様子だった?」
 ナターリャは歯を食いしばり、言いにくそうに言葉を詰めた。
「なんか、凄く上機嫌だった。それから……熱があるみたいだった……」
「熱? 具合悪そうだった?」
「わからない。でも、顔が赤くなっていて、体温も少し高めだった」
 ウクライナは顎に指を当て、考え込むようにうなった。彼女の目は不安そうに揺れていた。
「お姉ちゃん、ちょっとイヴァンちゃんの様子見てくるから、ナタちゃん、あなた、この方、えっと……」
「アルフレッドだぞ」アルフレッドは自分の名前を名乗っていないことに今気がつき、慌てて名乗った。
「アルフレッドさんに、服を貸して差し上げて。イヴァンちゃんの着ていないお古があったはずよ。洋服タンスの中に」
「わかった」
 ウクライナとナターリャはアルフレッドをおいて、階段を上って二階に上がっていった。二階に、イヴァンがいるのだろう。それから、洋服箪笥も二階にある。窓を見ると、もう外はすっかり薄暗くなっていることに気づく。アルフレッドは足の怪我が気になった。アルフレッドの右足は、通常の倍以上腫れ上がり、風船みたいに、皮膚が赤く張っていた。ちょっとでも力を入れて動かそう物なら、恐ろしい程の痛みが走った。安静にしていよう、と痛みに強くないアルフレッドは思った。ぼう、としていたら、アルフレッドは自分の体に着いた土汚れも気になりだした。殺されかけたという極度の興奮で、忘れていたが、下着のお尻の部分は泥でびちょびちょしているし、皮膚にはアルフレッドの体温で乾いた泥がこびりついている。ソファに自分が着けたと思われる泥が付いているのが目に入り、アルフレッドは申し訳なくて、心苦しくなった。二人が戻ってくる前に、自分の手で、できるだけこすり取ってやった。
 ナターリャが服を抱えて戻ってきた。
「服を着せてやるから、姉さんのカーディガンを脱げ。それからその薄汚れた下着も」
 ナターリャは、アルフレッドの前に立つや、アルフレッドに対する苛立ちを隠そうともせずに、不機嫌な顔でそう言うと、アルフレッドの肩にかけてあるウクライナのカーディガンをぐい、と引っ張った。奪われた宝を急いで取り返すかのように。アルフレッドはカーディガンをナターリャに渡した。
 ナターリャは、姉のカーディガンを取り返すと、それを胸に引き寄せた。ナターリャの視線がアルフレッドの下着に落ちる。彼女は下着も脱げとアルフレッドに言った。だけど、アルフレッドは美少女の前で下着まで、脱ぐのはあまりに恥ずかしくて脱げなかった。股間を凝視されるのが恥ずかしくて、アルフレッドは膝をこすり会わせる。
 ナターリャは、アルフレッドのそんな身動きをバカにするように、ふん、と鼻を鳴らした。
「兄さんの下着も持ってきたんだ。だが、お前に兄さんの下着を履いてほしくない」ナターリャは高圧的に言った。「兄さんの服だってお前なんかに着てほしくない」
 アルフレッドは静かに頷いた。この子は、お前に着せてやる服などないと言いたいのだろう。
「ナタちゃん、何をしているの。アルフレッドさんに服を着せてあげてって言ったでしょ」そこへ、ちょうど階段を下りてきたウクライナがやってきて、ナターリャをぴしゃりと叱った。
 ナターリャは姉に悪事が見つかると、急に怯えた顔になって、しどろもどろに視線をさまよわせた後、泣きそうな顔になりながら、アルフレッドに持っていた服を投げつけた。
「ナタちゃん!」
 ウクライナはナターリャを咎めた。
 つん、とナターリャは不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。
「ごめんなさいね。この子ったら極度のブラコンで、お兄ちゃんの服を他の人に着られるのが嫌みたい……」
 ウクライナは困ったように言って、笑った。
「服を着てください。ちょこっと両手を上に上げられるかしら?」
 アルフレッドはウクライナに服を着せて貰った。その服があのムカつく男の服だというのは気にくわないが、裸でいるのはいい加減寒い。ナターリャはその様子を遠くから苦々しげに見つめていた。それから、下着だけは、自分で取り替えた。他人の下着を使うのは躊躇したが、乙女の前で迷ってもいられまい。二人にあっちを見ていてくれとお願いし、アルフレッドは痛みをこらえながら汚れた下着を脱ぎ、そして……お古を履いた。ズボンを履くのは、ウクライナに手伝って貰った。長い時間をかけて、服を全部着るとアルフレッドは疲れて、ソファにぐったりと体を預けた。
「足、痛む?」
 ウクライナはアルフレッドの顔を心配そうにのぞき込んで聞いた。
「まあね」アルフレッドは、ふー、と息を吐きながら言った。
「その怪我は……もしかしてイヴァンちゃんの仕業?」
 アルフレッドは肩をすくめる。イヴァン。あの男の仕業かと言われれば、そうかもしれないが……。
「彼に追いかけられて、逃げているうちに、足を滑らせて、崖から落ちたんだぞ。まあ、彼の仕業と言うよりは、自分の落ち度かな」アルフレッドは言った。
「そうなの」ウクライナは自分の弟のせいで、アルフレッドが怪我をしたんじゃないと知り、安心したように言った。「そうよね。イヴァンちゃんは、そこまで酷いことをする子じゃないわ。ねえ、アルフレッドさん。アルフレッドさんはどう思う? アルフレッドさんはイヴァンちゃんの目を見たかしら? あれが狂気の目に見えた? イヴァンちゃんのこと怖かった?」
「もちろんだぞ。突然襲いかかってきたんだからね。驚いたし、当然怖かったぞ」アルフレッドははっきりと言ってやった。
「でも、アルフレッドさん。イヴァンちゃんは、とっても可哀想なのよ」
 ウクライナはアルフレッドのイヴァンに対する思いを、正当でないと否定するように首を振り、アルフレッドの気持ちを説得する為に語り出した。
「イヴァンちゃんはね、子供の頃は、大人しくて可愛い子だったわ。優しくて、優しすぎて傷つきやすかった。たとえば、子供が何か悪さをして、それがいけないと教えるために私たちは叱るでしょ? 昔、暑い日だったわ。イヴァンちゃんは大きなバケツを持って、橋の上に登り、バケツから何かを取り出して、それを川に投げ入れていたの。私はそれを見つけて、何を捨てているのか気になり、イヴァンちゃんのバケツを覗いたわ。大量のミミズだった。私は叱ったわ。何て事をするの。どうしてこんな事をするの。ミミズさんが溺れ死んじゃうでしょ。イヴァンちゃんは言ったわ。雨の日になると、ミミズは喜んで道路に出てくるけど、空が晴れて、道路が乾くと、ミミズは干からびて死んでしまう。ミミズは水がないと生きられない。今日はよく晴れていて、暑いから、ミミズが死なないように水があるところに避難させていたんだ、って。私は言ったわ。いけない事よ、イヴァンちゃん。あなたのした事は、殺しよ。その後、イヴァンちゃんはふさぎ込んでしまったわ。ミミズの命を奪ってしまったと理解したの。ショックだったのね。あまりに気負いすぎて、しまいには病気になってしまったわ。罪にさいなまれてずっとご飯も食べていなかったんだもの。病気になるのも仕方がないわね。イヴァンちゃんほど繊細で優しい子は他に知らなかった。イヴァンちゃんの危ういほどの優しさはイヴァンちゃんが十五歳の頃まで続くの。あの子が十五歳の夏。事件が起こった……」
 ぽつ、ぽつ、ぽつ。
 ウクライナはイヴァンの秘密をアルフレッドに明かした。凄く重い話だった。ウクライナの話が終わった後、アルフレッドはなんと言えばいいかわからなかった。気持ちが沈み込み、声を出すのも億劫だった。ただ話を聞いていただけなのに、異様な疲労感が体をおそっていた。アルフレッドはただ思った。イヴァンは狂わざるえなかったんだと。

 やがて、救急車が到着した。救急車にはアルフレッドの他にウクライナも同乗した。ナターリャに見送られ、病院に向かった。

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プロフィール

HN:
capla
性別:
女性
自己紹介:
アメリカと呼ぶより、アルフレッドと呼ぶのが好き。
自分の書く作品が下手糞すぎて泣けてきまして、恥ずかしさから作品倉庫なる秘密基地を作成しました。ぱちぱち。ホームページは難しくて作れず、ブログです。しかし、ブログもなかなか難しい。半日も費やしてしまいました。(汗)

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